Sugawa Mika のブログ

日々のこと、 生きたい世の中のこと、 演劇のこと

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「ブログ読んでますよ」って

嬉しい言葉ですね~(^o^)

多くの人がブログにはまるのが何となく分り始めました。

こんなブログ初心者の、しかもなかなか更新しないくせに、書いたら長い(笑)私のブログを読んでくれてる人が居るぅぅぅ

本当に有難う御座います。

あの~え~まだどなたからも、コメントを、頂いてないんですけど・・・
どうぞ、ご自由に感想など頂けたら・・・

更に嬉しいな~

今日は久しぶりの休日。

昼は中野の芸能小劇場で、知人の女優、塚本千代さんの朗読を拝見。
全部で6本の小品を、6人の朗読者が読むと言うプログラム。
一年に一回の公演で今回は記念の10回目と言うことなので、それぞれの朗読者は、自身の受け持つ作品を読み込み、研究しつくして挑んでいるのだろうと思うのだが、胸を打つ作品と、何か物足りなく思える作品があるのは何だろう?

自分の感じたことを言葉にしてみることは大事な事だ。自身も演者であり、演出もする者としては、”好きか嫌いか”だけで片付けたくはない。自分がその時感じたこと、見て拾ったと思ったことを、具体的に、より具体的に言葉にしてみる・・・ ”自分の思いを伝える言葉を鍛える事”
は、特に演出をする場合に役に立つ。

マイナスに受け取られかねないことは・・・ここには書きたくない。知人の舞台を見た後、率直に感じたことは、今までも直接本人には言って来た。お互い信頼している役者同士なら、ちょっと耳の痛いことでも、人間関係は壊れない。
信頼に確信が持てないときは、自分の中の引き出しに仕舞う。

千代さん、まず声が良い。しっとりと響きがあって、心地よい音程と、飽きさせない切り替えし。聞きやすい早さを丁寧にキープ出来る確かな技術。彼女が読んだ作品は、小川洋子さんの「風薫るウィーンの旅六日間」
私は初めて知る作品だったけど、思わず笑えたり、ホロッと来たり、登場人物が生き生きとしている。千代さんが、ずっと読みたかったと言っていたことに納得。だからなのだろう、彼女が作品を、大切に読み込んでいる事が伝わってきて、多分その事が一番素敵な事で、成功していた要因じゃないかと思う。良い時間と空間だった。

この作品では清水さんが舞台監督をしていた。清水さんは、元はシアターXの座付きだった凄腕のスタッフさん。何が凄腕って、舞台監督も、照明も、音響も、小道具制作もやる。そしてそのクオリティが高い。立ち話だったけど、次回私が演出する作品でお願いするかもしれないと話す。このタイミングの再会・・・いいね~

夜は、佐藤君と瑞穂ちゃんが出ている芝居に足を運ぶ。王子小劇場。この作家の作品を見るのは3回目。
佐藤君は、伊藤正次演劇研究所の同期。もう15年位の付き合いになる。
瑞穂ちゃんは、以前「父帰る」で私の娘役(お種)をやった。唇も、ほっぺたも、目もまんまるな、風貌はエキゾチックだけど、四国の山奥出身の、古風な日本の心も理解できる若い女優。この舞台の感想は終演後二人に直接言った。

みんな懸命に作品を作る。当然だけど。
でも、上手く行っている作品と、残念な作品がある。上手く行っていたのに、今日は何だかな?と言う日もある。その違いは何かしらん?と繰り返し自分に問うて来た。

劇場と言う空間と、その空間に見合った作品と、その空間と作品に見合った演技のボリュームと、音響と照明と、それを見つめる観客と・・・舞台空間は本当に繊細だ。ちょっとした事で変形したり壊れたり。
だから大事な事はいつも”ちょっとした事”なんだな。

「自分の出ないシーンだからって、関係なくないよ」「楽屋での振る舞いは舞台に出るよ」「自分の出番が終っても、舞台で演じている人が居る事を忘れちゃ駄目だよ」
私が演劇一年生だった時、回りにはその事の大切さを教えて、叱ってくれる素敵な大人が沢山居た。さて私は?そんな素敵な大人に成れてるかしら?・・私はかなりはっきりと物を言う。自他共に認めるところ。でも・・・十分じゃない。

上手な演技や、技巧的で上手い脚本や、おしゃれな演出には勿論感心する。けど、観客の胸を打つのは、もうちょっと上等な何か?丁寧に重なった、ちょっとした事なんじゃないのかな?

私の演劇の師匠、伊藤正次氏は、「赤ん坊を抱くように」と言う言葉をよく使った。舞台空間の繊細さをよく知っている人の言葉。「幕の処理は赤ん坊を抱くように優しく」「転換の最中のセットの移動は・・・」「小道具の処理は・・・」
「心遣い」という言葉もよく使った。

いや~前回9月の舞台でさ、私は最終幕を前にメイク換え、衣装換えをしていると、既に出番の終った、若い女優達の内何人かが、差し入れの肉まんを頬張りながら、キャピキャピと自分達の出番の反省会をやり始めた。
う~~ん、これは参った。肉まんの美味なる強烈な匂いは、私を現実に引きずり戻す・・・コメディー作品だったら、もしかしたら何も言わなかったかも知れない。けど、私これから3ヶ月牢屋の中に居る状況に入って、夫が自ら絞首刑になる道を選ぶのを見届けるんだよね。さすがに我慢してる私が変だと思った。だから「あんた達は優しく無いね」と一言。さて、その言葉が言われた方にどう浸透したかは・・・神のみぞ知る。

自分のグループを持たない私は、色んな団体に客演で参加する。そう、お呼びがかかって初めて、演技する場を持てるのだ。それぞれのグループが大切にしているものと、私自身が大切にしているものが、完全に一致する事は無いし、それで良い。自分には無い物に出会って+そこで自分らしさを加味して=何が出来るのか?
だから私は自分の意見をはっきり言う。自分の考え方、感じ方を言葉にする。

ここでやっぱり信頼関係。信頼されている空間では、自分が言った言葉が素直に染み込んで、稽古場が、舞台が良い相乗効果を生み出すのが分る。でもそうではない時が大問題。そんな時は・・・もう大嵐だね。自分が出演している以上、何も言わず、あれ??と思った事を、自分の引き出しに仕舞うなんて事は出来ない私。だってそれはさ、自分が動員したお客様や、作品に対する責任放棄でしょ?

きちんと伝えられる本当の大人になるって難しい。

今日は歯医者に行った後、磯見美麦之(普段は麦or 麦ちゃんと呼んでます)に新宿で会う。彼女とは”るつぼ”の打ち上げ以来の再会。彼女は非常に個性的な、面白い可能性を持った女優だと私は思う。

麦ちゃんとは元々、両国にある劇場「シアターX」の企画で出会った。恐らくもう5年以上前かな?

今年の3月に下北沢で、”読む小泉八雲”と題して小さな企画を二人でやった。
基本私は女優だけど、時々演出をする。そしてこの時、私は演出。
出演は彼女一人。

この企画、実験的でとっても面白かったな~私は。
とっても小さなスペースだったので、10名で満席になるという(笑)インタリスティンぐ~な空間。見に来てくれた人もなんだか面白がってくれてたな~。

さて、今日麦が私を呼び出したのは次回企画の件。
時期は恐らく来年2月・・・未だ全て仮定段階なのではっきりとは言えませんが、舞台はある有名なお寺の宿坊になるとか???

お寺の宿坊で演劇!

私それを聞いただけで、俄然やる気に成ってます。

実はさ・・・”るつぼ”もそうですけど、小劇場出演は、私自身の経済を見事に圧迫してくれるんですよね。既に次回12月初旬出演の企画を受けていて、これまた小劇場なので・・・その後に2月か~とちょっと気が遠くなったりしますが、自分が面白そうだと思ったものを素通りできない!そんな自分の性質を恨んだりしつつも・・・

やっぱり「難しいな~は楽しいな~」なんだな、私にとっては!

何か作品を持っている時、私は女優だったり、演出だったり・・・
つまりクリエイティブな人々の仲間入りをするが、そうでは無いときは、アルバイターだったり派遣社員だったりする。

多くの小劇場役者達と同じで、芝居をやり続ける事を可能にしてくれる条件であれば、何の仕事でもやって来た。販売、サービス、事務、etc etc etc...

本来ならば芝居だけで、食っていければ良いに決まってる。若い頃は、芝居だけで食えない事が情けなくて、心の重荷で・・・バイトをしている自分を認めたくなかったり、まるでその時は人生が停滞しているような(笑い)自分の理想と現実のギャップに苦しんでたな。でも今、自分の中にはちょっと違った思いが育っている。

アルバイトを通して経験した事。出会った様々な業種の多くの会社、沢山の人々によって、やっぱり私は育てられて来たんだなと思う。
同僚の中には私の舞台に足を運んでくれたり、辞めて何年も経つのに、今でも欠かさず見に来てくれる人も。もう同僚と言うより、既に良き友人と言える大切な人たち。

本当に有り難い。

ここ最近私は、某ホテルの宴会やレストランでの、サービススタッフだ。
昨日は結婚披露宴が全部で3件入っていた。
自分は一回も結婚した事がないけど結婚式は大好き。花嫁衣装に身を包んだ花嫁を見ると、何故か涙が出てくる。健気に一生懸命幸せになろうとしているように思えるのだ。披露宴のサービスをしながらも、もらい泣きする事がある。私ったら歳とともに涙もろくなってるかも。

昨日は披露宴までの親族控え室で、桜茶を出したり、食前酒を出すサービス。
午前中から準備をして、午後はこれを二件こなし、夜は別の会場で、ご友人が幹事のこじんまりとした結婚披露パーティーのサービス。

ここで私、最後に大失敗!!!
気配りに欠ける行動をとってしまい、マネージャーから大目玉!う・・・(汗)
お二人にとっては特別な日なのに、私も結婚式のサービスが大好きなのに、毎日の延長の上に居る私は慣れて来たり、疲れてきたり、緊張感を失ってしまう。

いい歳こいてめったやたらと叱られたくはありません。情けないな~参った。

雨が上がった。この時期は雨の度に秋が深まる。

睡眠時間は十分取れているはずなのに、朝眠くてなかなか目が開かない。
急に寒くなったせいかな・・・季節の変わり目かな・・・熊は冬眠する時期だから、人間もこの時期眠くなるのは自然の摂理か~なんて。

去年の9月、アラスカのベアウォッチングで有名な、カトマイ国立公園で、沢山の熊を見てきた事を思い出す。
熊の生息域に人間が勝手入り込んでいるのだから、全ては熊が優先。公園に入る前に、熊との距離のとり方、食べ物の始末の仕方など、レクチャーを受けた。

圧倒的な大自然の中に身をおくと、人間が一番ではない事を改めて思い知る。それは静かで謙虚な感覚。
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私の行った9月は既にシーズンが終っていて、観光客は殆ど居なかった。公園のスタッフに言わせると、8月の最盛期には観光客が押し寄せて、熊ウォッチングでなく、人ウォッチングになるんだって。

私はこの景色を独り占め。ラッキーだったな~手の届きそうな距離にクマクマクマクマ・・・・
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後ろに居るのは熊です。川に顔を突っ込んでサーモンを狙ってます。お腹一杯に成って冬眠に入る。
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寒い。今日は寒くて目が覚めた。
当たり前だけどすごいこと・・・季節はちゃんとめぐり、あの異常な暑さにうんざりしていた夏が急激に遠のく。

SCARECROWS 「るつぼ」 9/15-9/22 全10回公演 
作品、公演の詳細は 
http://scarecrows.sitemix.jp/blog/

もう終った作品だけど、少し書こうかな。自分への区切りの為に。

難しい作品だった。16世紀、アメリカ・マサチューセッツ州で本当に起きた魔女狩りの話を元に、アーサー・ミラーが1950年代に書いた戯曲。
しかし、この作品の持つパワーは本当に強烈だった。そして実にいい台詞が一杯あった。人間の愚かしさと愛しさとを、如実に表した台詞の数々。

キリスト教の精神を生活の支柱に持ち、神との契約を”絶対”と考えて生きている登場人物。
仏教と神道が”良い塩梅”で混在している文化背景を持つ日本人の私には、咀嚼し難い思考と価値観。しかし・・・それはどこか身近で見た風景。これが絶対なんだと価値観を押し付けられて、思考停止をしてしまった人々。
大体、”絶対”なんて考え方が古いよ!その上、1950年代にアメリカに吹き荒れたマッカーシズムへの怒りに満ちた、アーサー・ミラーの台詞は重過ぎるよ!なんて文句言いながらも、作品がどういう土台の上に建てられているかを理解することを避けては通れない。

いつも思う、役との出会いは他者と出会うことと同じ。自分の中には無かった感情や、価値観や、思考回路と出会うこと。
役を捉えて、台詞を言う・・・この作業のイメージは、その異質なものを一旦無理やりにでも飲み込んで’自分とぐちゃぐちゃっとミックスさせ、自分の言葉かのように吐き出すイメージ。
これまで演じた沢山の役の中には、心身が猛烈に飲み込むことを拒否したものも有ったなあ~。

今回私が演じた エリザベス・プロクタは、夫を、若く美しい女中に寝取られた、3人の子持ち。夫と子供にだけ目を向けて、家庭の中で人生の大半を生きて来た女性。
家庭の中に走った亀裂。彼女の愛情と、絶望と、嫉妬と、自己嫌悪。
彼女の立場での(末の子供を産んだばかりのタイミングで、同居している女中が夫の浮気相手)”嫉妬”と言う感情は、夫も子供も持たない私が知っている嫉妬とは、重たさと深さが違って来るように思う。辛くて痛くて残酷で、嘔吐に似た感情。

その上、この作品は短い間合いで劇的な事が次々起こる。劇みたいに!・・・そう、だから良く出来た劇なんだと改めて思う。
エリザベスは、夫との関係をゆっくりと癒す間も無く、抗いようのない”るつぼ”に飲み込まれて行く。

彼女を捉える作業は難しかった~。そして彼女は病弱だった!結局ここが一番大変だった。だって私ってさ、人一倍健康そうでパワフルだし・・・でも芝居作りにおいては難しい事が大好きだ。「わかんないよ~難しいよ~」と言ってるときは、「楽しいよ~嬉しいよ~」と言ってるのと同じです。
そして役を捉える作業には終わりが無い。絶対が無いように、芝居にも完成は無い。のじゃないかな?と最近思うようになった。
でも、観客には完成により近いところを見せたいと、本番前の稽古場では全員があがく。それも本当です。

こうして公演が終った今、ゆっくりと作品と役が自分から抜けて行く。割と好きな時間。時間の経過とともに役との密着度は益々薄まって行く。
でもきっと、何かの拍子に、ちょっと残念だな・・・ちょっと悔しいな・・・というシーンが蘇る。そしてあるとき、ふとした瞬間に彼女を、この作品を、更に深く理解するときが来るような気がする。今の私が負っている時間の重み、人生の深さでは理解しきれなかった”何か”をいつか・・・

私達は死ぬまで生きる。終わりの日を迎えるまでは、常に経過の途中にいる。誰も皆、人生に於いて起きたことは、良い事も悪いことも、どんな些細なことも、辛く悲しいことも、”無かったことには出来ない。だってそれは有った事だから”(芝居の中でもパリス牧師が言ってたね・・・)
だから、ちょっと不思議な感覚なんだけど、虚構の作品世界の中であっても、起こった出来事に対して動いた感情は、事実なんだな・・・
そして多くの場合、経験は人の器を広げてくれる。
この公演に関わった全ての人との出会いは、私に間違いなく貴重な経験をもたらしてくれたと思う。

有り難い。

何年も前から、ブログやんないの?と言われてましたが、

面倒くさいような・・・なんとなく性に合わないような・・・

このたび、とりあえず開設しました。

日々の喜怒哀楽、演劇に関すること・・・

不定期に書いていきます。

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