Sugawa Mika のブログ

日々のこと、 生きたい世の中のこと、 演劇のこと

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燐光群アトリエの会「楽屋フェスティバル」閉幕から1週間。
おででこの出番終了からは10日。

どっぷりと、骨の髄まで沁み込んだ疲労からの回復がなかなか思うようにいかず、ようやく昨日あたりから、脳の芯の痺れというか、情報過多からの思考のくもりと、心身にビトっとまとわりついていた、重たい強迫観念から解放されつつあります。

芝居ってこんなにも疲れるのね~と年々その思いが強まります。

さて、次!に行く前に、今回の振り返りを。
         
さっさと流れ去りますからね時は・・・

楽屋、今回改めて取り組み、その深さを知りました。いや・・・清水邦夫と言う作家の懐が深いのですわよ。
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自分たちの本番前に、おででこチーム何人かで、他団体の「楽屋」を観劇しました。
合計三団体を見ましたが、これが同じ戯曲かと?!演出によって、捉え方によって大きく印象が変わるんですね。その個々の捉え方をまた許すんですねこの戯曲は。違いを受け止めて、それなりに成立させています。つまり戯曲の行間が豊かだからでしょうね。

ちなみにおででこ演出では、と言うか私は、「楽屋」をよく言われる女同士の戦いとか、女優の業の物語とは捉えていませんでした。もっと言うなら幽霊の物語とも捉えてませんでした。それが成功していたんでしょうか?
おででこの楽屋を面白がって下さった方が何人もいて、嬉しかったですね。

10日のフェスティバルの打ち上げで、他団体さんとも少し交流できました。
私は残酷さではなく、横の繋がりに飢えてるんですね・・・
これを機会にまた今後も繋がって行きたいわ。
そういう意味では、無理目のスケジュールをでしたが、フェスに参加して良かったです。


そして、次ですね。岸田理生アバンギャルドフェスティバル。

「火學お七」

台本に向き合っていますが、悩ましいですね~難しいですね~
これもすげ~~疲弊しそうです!
なんと来週からもうプレ稽古が・・・

ちょっとぶっ飛ばし過ぎな上半期です。
死なないように頑張ります。

 

昨日は、ここ数年ほぼ毎回おででこのチラシデザインをしてくれる悦さんと、7月公演のチラシの打合せ。メールや電話では連絡しているものの会うのは久しぶり。

ご無沙汰の間に色々お互いに環境の変化もあり、その報告が尽きることがなくて、5時間の居酒屋滞在があっという間。ラストオーダーでお店を追い出されて駅に向かい歩きながらもしゃべるしゃべる私たち。

悦さんとの付き合いもかれこれ15年以上になった。
会う頻度はさほど多くはない。何年も会わないときも有るけど、彼女とは、求めている心地よさや理想や、大切にしたい根本がどこか似ていると思える安心感がある。

昨夜悦さんが、私は9の人で、悦さんも9の人だという。
9の人・・・このパターンは初めて聞く。
誕生日から割り出した有る数のことで、1-9の数によってその人の本来の性質とか、性格とか、求めている理想とかが分かるらしい。統計学であり、ある種のスピリチュアル。

そして私が話すことや考え方がまさに9の人~!って感じらしい。
9同士の理解が早いのは、これは道理だそうだ。9と1は遠いけれど隣り同士だから理解し合えるってことも言えるんだって。面白い。

でも実社会では、隣り同士でも同じでもない人との関わりの方が圧倒的に多い。この理解し合えない人とどう付き合って生きていくのかがまさに人生で、だから、生きることはすなわち修行なのだな~と二人で納得し合った。


おででこ京都の山企画、第三弾の報告が遅れてますが、「楽屋」の本番まで実質10日になり、脳と時間をそちらに回せません。5/5.6.7の「楽屋」終了後にご報告の予定です。

ここからの稽古でぐぐぐっと作品は深化します。
厳しくも苦しくも楽しい稽古稽古稽古・・・

「おででこの楽屋」前売り絶賛発売中!
おででこサイトよりご予約頂けます。 http://odedeko.com/


 

昨日は新月でした。

新月の昨日、おででこ新サイトがオープンしました!
http://odedeko.com/


まだ下書き中のカテゴリも有りますが、徐々にアップして行きます!
新しい情報も今後はこちらにアップします。ブックマークしてくださいね~!


そして!

おででこ京都の山プロジェクト第三弾! 間もなく締め切りです。4/10(日)

気軽に行くよ~と言える距離でも環境でも無く、
都会生活者には幾分ハードルが高いのは確かなのかもしれませんが、
実はハードルを上げていたのは自分自身の思い込みだったと思うかもしれませんよ。

だから、やっぱりお誘いしたい。
多くの人に体験してほしい。

ワイルド、ネイチャー、スロー芦見タイム。
http://odedeko-kyoto.blogo.jp/ 

春の芦見谷でお待ちしています~!




 

先日わたし、
自宅の玄関の鍵穴に、カギを差しっぱなしにして外出。
カギをかけてても、そのカギが鍵穴に差しっぱなしだったら、

かけてないのと同じだろ!

しかも、その不穏で不明瞭な記憶というか予感がふと、日中の経済活動の最中によぎり、
カバンを漁り、上着のぽっけもズボンのぽっけも漁り・・・でもどこにもカギは無く、99パーセント不安が的中したことを知った瞬間、 脇から大汗がどっと・・・
なんでそんな失敗してるのわたし???
と、朝の光景を脳内リプレイするも今さら過ぎたことで、
今まさに!まさに今!何者かが自宅に侵入しているかも知れないと思うと、
もう落ち着いて経済活動に集中することは不可能で、正直に事情を話して早退を願い出て、自宅にとって返し、
帰りの電車の中では色んな光景が脳内にぐ~るぐる渦巻いて、

すでに侵入されて部屋がぐちゃぐちゃ?
いやいや、実は鍵はどこかで落としてしまっている?
それならまだましだとは言えど、鍵を変えるのにまたお金かかるのは痛たたた・・・

鍵よ!誰にも気づかれずに刺さっていておくれ!

そんな時は電車がのろくさく感じる、
駅から自宅まで自転車をブンブンこぎ、
マンションの階段を4階まで駆け上がり、
そしてわたしの目が見たものは!? 
                           


 
 今日から四月です。早い早い早い~
今年の三月は猛烈な修行月間でした。苦しかった。毎年誕生日月ってなんかしんどい気がするな~と話したら割と同意してくれる人が居ます。みなさんはどうですか。


 3/12(土) 両国シアターXでの一日限りの再演。
言葉が促すカラダ 身体が促すコトバ であそぶ 太宰が書いた 女 おんな オンナ・・・
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去年の11月に川崎で見て、そして今回も両国に来てくださった方が沢山いました。
この作品は観客からの支持が高いです。

でも、本当にしんどい創作でした。わたしは毎回稽古場では死にそうなほど疲弊する段階が有るんですが、今回はなんだか良い作品を創るための苦労ではなかったんですね。私はこと演劇に関しては難しいこと大好きなので、創作としての高みを目指しての苦労は楽しみであり喜びですが、そこに至る以前の低い次元のしょう~もない腐心にやられました。

演出という仕事、団体の主宰という責任。小さなグループは全員で仕事に当たるというチームワークのの確立。経験値と自覚の低い演者へのモチベーションアップ。そして自分自身も演者であり、作品を探求し続けるということ。私が「辞めた~」と言わない限り、磨き続けて行く必要なスキルですから、そんなことの弱音ではないんです。
観客の評判は凄く良かったのにも関わらず、なんともやりきれないぐだぐだな感じですね。

まあ、生きてれば色んなことあります。
わたしもこのぐだぐだな感じからやっぱり学んでることが有りますし。


その1週間前には前回のブログでも書きましたが、2月23日から12日間の、Markus Kopf氏とのワークショップ創作での観客への発表が有りましたから、やっぱりいくら再演とはいえ、これは無理目なスケジュールでした。気力も体力も脳力もギリギリのきつきつで、なんであたしゃこんな苦行僧のような事に成ってんじゃ?と


マルクスワークの今年は、
ブレヒトの詩や戯曲の一部を使い、「難民」をテーマにコラージュ作品を創るという趣向。

流石だと思いました。
Marukus氏との創作に私が4年も参加している理由はここです。
彼がなのか、ドイツの演劇人にとっての当たり前なのか、わたしは比較できる何かを持ってないですが、

演劇という行為は、今日の世界に生きる創り手たちによって、今日の世界を生きる観客に向けての「問い」であるというアンカーが、ガッチリ根っこに刺さっている。

だから仮に取り組む戯曲がブレヒトでなく、それがシェイクスピアであっても、チェーホフであっても、岸田國士であっても、三好十郎でも、アーサーミラーでも、テネシー・ウィリアムズでも、清水邦夫でも、どんな名作と言われるものでも、その作品に取り組む創り手たちが目指すところは変わらないのだと思う。生きること、人生、この複雑化した世界に存在する「人間」という生き物への「問い」の為に書かれた仮定の、虚構の物語を、どう生き生きとさせるかという課題に取り組むことが俳優の仕事。

Marukus氏のトレーニングの多くの時間は即興にあてられる。
わたしは即興の手法による有効性を随分教わった。
本当に空間に存在するための術が即興のトレーニングでは見いだせる。
脳をぶん投げて、肉体ごと空間と繋がる体験。
本当に舞台上で生き生きするために邪魔になるものは、怖れ。
共演者と本当にコンタクト出来ている瞬間と、そう見せかけている瞬間。
相手を本当に見て、その時感じた何かに蓋をせず、そのことによって湧き上がる自分の本当の感情も、そのことによって引きずり出される記憶の中の何物かも惜しげなく全て持ち出し使う。
虚構に命を吹き込む術は後にも先にもここにしかない。秘密は無い。魔法は無い。


面白いのだが、Marukus氏との創作現場では、いつも何かしら事件が起こる。事件は無い方が良いけど仕方ないのかも知れないとも思っている。

それは、即興というトレーニングを通じて、みんな心も身体も変化しやすくなるから。
柔らかく感受性豊かにオープンに成るから。
心を裸にされて取り繕っていられなくなって、泣いたり怒ったりし易くなる。
でも当然、その変化の度合いは個人によって大きな開きがある。
俳優としての経験がいくら長くても、見た目がどんなに麗しくても変われない人は居る。
ようするに、自分が慣れ親しんだ演劇文法とは違う演劇文法に出会って、手も足も出なくて悔しい思いをするのは、何も知らない未経験者より経験者の方だろうと思う。積み重ねてきた経験値と成功体験によるプライドだってある。

演じることとは、アクションではなくて、リアクションなんだという所に立ててる人なら早い。自分をチェンジすることに恐れない人ならすぐに対応出来る。

わたしはだから、どう真っさら状態で初日のワークに挑むかを自分に課していたんですね。
「知ってる知ってるわたしそれ知ってる。だって4年目だし得意だし~」とか成ってて、誰かに得々と説明してるようならもう参加する必要はないわけですから、演者としてどうピュアに存在するかに挑戦したんですけど、見事に初日に邪魔が入ったのも可笑しかったけれど・・・

受け手が受け取る準備が出来てないと、宝も宝に見えないのは事実。名作だって何も無いと言ってしまえる素人。豚に真珠。わたしは得るものが沢山有ると思うから4年も参加してるけど、同じ内容のワークを受けていても、そう思えない人も居るというのは仕方ない。それは良いとしても、このワークの辛いところは、出来ない悔しさとか、あの人は出来てるなあとか、嫉妬に近いところから発生する、しょうもないマイナスな感情に出くわすこと。人間だからそうなってしまう事は理解する。何処の現場にも多かれ少なかれ有ることだ。でも高みを目指して物創りしたいときに、そんなマイナス要素は本当に要らないね。

俳優という、「人に非ず人より優れる」物を目指したんなら、普通の人みたいぐだぐだしてないで、もっとシンプルに成ろう。そして本当に難しくて面白い創作に取り掛かろうよ~と言いたいだけなのです。


 
 そこで私が見たものは?!

鍵は、ノブの鍵穴にぶっ刺さったままでした。
誰にも見つからずに、見つかったとしてもそのまま放置してくれたのでしょう。
良かったです~足立区エライ~
 
えらいこっちゃが目白押しの三月でしたが、
3/30は自身の誕生日に、みなさんから沢山のHappy birthday をフェイスブックで頂いたら、なんか元気が出てきました。人間は単純です。
春は日本はリスタートシーズンで、世間は忙しくて、学校のころは卒業した後とかクラス替えの後とかで春休み。
誕生日でヒロイン気分になったことなんかとんとない。それにこんな早生まれのしかもギリギリに生まれたお陰で、学校の勉強についていくのが本当に大変だったし、馬鹿にされた記憶が付きまといます。両親も歯がゆかったんでしょうね、不憫だったんでしょうね、叱咤叱咤叱咤され続けたわたしでした。だから自分の誕生日ってなんとも複雑な感じ・・・でも、嬉しかった誕生日も有ったのは確か。思いがけないプレゼントを貰ったことも思い出しました。
凄くびっくりしてドキドキして嬉しかったな~

弥生の季節に生れた女の子だから、香りをつけて「弥香」と命名してくれたのは母方の祖母。
戦前に女学校までいった和歌を嗜む才女でした。祖父と結婚するために奈良から満州に嫁ぎ、終戦時は満州に足止め。引き揚げまでに零下20度を下回る満州の冬を二回もくぐり、4人の子供を無事に連れてやっと日本にたどり着き祖父と再会。でも食糧難の日本では引揚者は針の筵。親戚や姑から猛烈な苛めに合った。
私に会うたびに「弥香ちゃん大きくなったね~」とニコニコ笑っていた小さな体の祖母。祖母が亡くなったのも春でした。焼き場からの帰り、満開の桜が彩る宇治の平等院が美しかった。



さて、明日からは 
 
「燐光群」アトリエの会=「楽屋フェスティバル」 の稽古開始です!

場所:梅が丘Box 住所:世田谷区梅丘1-24-14フリート梅が丘

おででこの出番日程は、5/5(木)18時. 5/6(金)14時. 5/7(土)18時 全3ST 前売り2500円
絶賛ご予約受付中です!おででこへ→ 電話03-6903-2748  odedeko2010@gmail.com

 
清水邦夫「楽屋」

出演者は女優4人だけ。日本で一番上演されている作品。
楽屋と言う小さな世界で広がる、底知れない人間の思い。滑稽で哀しく切なく一生懸命。
清水邦夫のセリフは分かり易い。構成もシンプルですから演劇初心者から上級者に至るまで、様々な「楽屋」が生み出されてきている。
行間には沢山の宝が隠れている。宝探しをする胆力が有れば、もし何かを見つけられたら、いかようにも発展する可能性を秘めたパワーのある戯曲です。

私は2009年の12月に、Ito・Mスタジオで「楽屋」に出演しています。もう6年経ってるなんて・・・
今回は、燐光群さんの梅が丘ボックスで、ほぼ同じ照明と同じセットを使い、全部で18団体が参加して、各々の「楽屋」を披露するという、「楽屋祭り!」 大阪や名古屋からも参加している団体さんが有るそうです。凄いですね~ 

おででこは、実は超忙しいのですが、あえてその忙しさの合間にこの企画に参加した理由は、今日本で演劇をやっている色んな方々に会いたいからです。皆どんな思いで何に苦労して、でもどこを目指してやっているのだろう。知りたいんですね。そして沢山励まし合いたいと思ってるのかな?

ただし、良い物を作るためには気合い入れてますよ!今回キャスティングは申し分ありません。私本当に嬉しいです。本物(を目指してる切磋琢磨してる)女優たちとの稽古場リポートは次回から!

 

疲労が強すぎると、人間は涙が流れます。
これは、有る種の身体が発する警告です。
「張りつめている心を緩めろ」と、
生物としての防御本能が命じているから。

涙は、泣こうとして出るものではなく、なんでだか流れ出るものだと最近思います。
涙が出てしまうなら我慢せず出していい。
それは身体が欲してるから。
ここで我慢すると、難しい段階に至り、心も身体もこじらせます。

わたしは子供のころ父に、
「泣くな!泣くな!泣くな~!」と怒鳴られて、
よく大泣きしてました。禁止は逆効果である証です。

しかしあたしゃ泣き虫でした。
また父が大声で怒鳴るので、
その声にびっくりして泣いてしまう事もしばしば…

泣くのはダメ!弱虫はダメ!我慢が美徳!大人は泣かない!
ダメダメダメってこれは息苦しいですね。
私の認識ですけど、割とラテン系の男性は平気で泣きますよね?
平気で弱音を吐くと思いますよ。

男も泣くし、泣いて良い。

日本にはびこる、男は泣いてはいけないという思想は、明治以降の戦争の時代に強制されたか、若しくは江戸期の武家社会の、「男子たるものうんぬんかんぬん・・・」という理想像の押し付けから来てると思うのです。違うかな?

ちなみに私見ですが、感情の色合いを分ける為に使われる、喜怒哀楽は、哀と喜と楽を十分に自由に出すことが出来る環境でなら、怒に至ることは殆ど無いのだと思います。本来人間という生物は怒りというエネルギーは楽しくないはず。心も身体も喜ぶ状態を、本来は求めるはずだからです。でも、その本来求める喜哀楽を禁止されたら、その禁止されたストレスによって、全ての感情は「「怒」に転じてしまう・・・

我が父は、今でこそ気の良い山のおやじに成ってますが、本当につい最近まで、すべての感情表現が「怒」の色合いを帯びてる人でした。嬉しい時も悲しい時も親密さを感じている時も、エネルギーの出し方は「怒」

これはさ~わかりにくくて疲れますよ!
父本人はみんなに良かれと思ってやっていることが、エネルギーの出し方とか、声のボリュームが間違っているから、誤解されて受け入れられない。そして結果お互いに傷つく。
今でこそ笑い話ですが、我が家には父のサービス精神が元で、悲惨~な状況に成った小話が一杯あります。

今私が父を許せるのは、戦中生まれの父は、明治生まれの祖父に鉄拳制裁当たり前で育てられ、それこそ「泣くな泣くな泣くな~~!」と、どやされてきたんだろうと想像できるからです。時は戦中、男は死んでお国のために!が当たり前の狂った社会でした。

日本の男に生きにくさを強いる、この悪しき伝統をどっかでスパッと断ち切りたいものです。
解放すべきは女ではなく男です。


昨日で、4年連続参加のマルクスワークが終了しました。
太宰の本番日程をずらしてまで参加したワークは豊かな時間でした。
自分自身のために、本当に参加して良かったと思えます。

今回は「難民」をテーマに、ブレヒトの戯曲や詩から創り出すコラージュ作品。

でも、疲れましたね~
12日間しかない。最終日には1000円とはいえ、有料で客に見せる作品を作る。
ただエネルギッシュで面白おかしい作品とは違う。難民と言うシリアスな重いテーマを内包してます。

誰それが役者か役者でないか?という話がこのところわたしの周辺で聞かれるんですが、私の思う役者とは、本気になって、演出のコンセプトにコミットして、演出と協力して、自分の心身も思い出も何もかもあらゆるものを動員して、共演者とその時間を生きようと試み続ける人種のことです。
自分がそこまで本気になって、人生の時間を使って作ったものを、当然多くの人に見てほしいと思う人種のことです。

あっちこっちから集まってきたワークショップ参加者が、どの程度の状態を本気と捉えるかは個々に委ねられます。心を一つにして共に協力して行くまでには時間が必要です。
難民と言うテーマを我が事に引き寄せるにも時間が必要ですし、
どの程度引き寄せるかは個々の能力にも委ねられます。
時間は12日間のみ。
ちなみに台本はワーク開始の二日前に初めて見ましたし、勿論その時は役も決まってません。

マルクスさんの訓練は本当に為になりますよ。
頭でっかちではなく、身体ごとその状況に入る方法を訓練します。
彼の演出の仕方ははっきりしてますし、彼はピーター・ブルックに学んでますし、よく研究してます。
でも、ブレヒトの異化効果とかを文献で読んで頭で理解している日本の演劇研究者にとっては、
目の前の作品が面白いとか、空間の密度の高さとかよりも、彼の演出はブレヒト的ではない!
と言うことが大問題らしい。去年も今年もそんな意見が出てくる。

は?ブレヒトってそんな後生大事に一ミリも動かせないような古典芸能なのかい?
私は方法論研究者ではなく、実際家、実演家なので、何とかメソッドも信奉してないし、ましてやブレヒトの面白さってばパンクとかロックっぽい?と思うことがしばしばです。

私が興味が有るのは面白い作品を作ってどうお客を驚かすかだけだ。

わたしは、マルクスさんとはまた是非創造現場を共にしたいけど、どうやら難しいですね。
こんなにも疲弊するやり方はもう嫌です。
ちゃんと稽古の時間をとって、ちゃんと演出の意図にコミットしようとする姿勢と能力を持った役者たちと、丁寧にモノ創りをしたい。
4年目の今年、終演後の私はなぜこんなに疲弊して傷つけられているのか?
何のためにこんなに全力で疾走させられてたのか?
終演後の、肉体も神経も疲れ果てた瞬間を狙って、袈裟切りを浴びせられるような、
心無い言葉を投げつけられるのも意味が分かりません。

稽古期間中、責任感と自覚のある俳優たちは、自分の振られたパートに命を吹き込むために、ナーバスになって考え続け、眠りが浅い日々を過ごすことを、演劇研究者や劇場製作者は知らないのかな?
ベテランとか有名無名は関係ありゃしない。その俳優に心があるかどうか?俳優としての自覚と責任感が有るかどうかだけだ。もしそんな自覚は必要ないとか言われるなら、私が関わりたい創造現場とは違うな~

ちょっと愚痴っぽくなってしまったかしら?
さてと、今日一日で頭と心を切り替えて、明日からは中断していた太宰の稽古再開です。

3/12(土)14時・19時 共にまだまだお席に余裕が有ります!

是非見て欲しいですよ~~!



3/12(土)のおででこ太宰の1週間前ですが、
今わたしちょっと難民してます。
今年もアイデア豊富なマルクス演出。

5日19時、お時間あれば是非!
チケット代は1000円


今年も参加しています。
ドイツ人演出家、マルクス・コップフさんとの全力疾走創作ワーク。
多方面の事情やスケジュールを、万障繰り合わせて、この時期にここ4年間連続開催中。
実質11日で作品を立ち上げて12日目の3/5(土)には、シアターXの舞台上でその成果を作品として観客に披露するという企画。

シアターXワークショップ情報→ http://www.theaterx.jp/ws/workshop160223.php

その1週間後 3/12(土)には、同じシアターXの舞台で、
おででこVol.8
言葉が促すカラダ 身体が促すコトバ であそぶ 太宰が書いた 女 おんな オンナ・・・ 
 
の本番を控えていますから、ちょっと無理目な同時進行なのはたしか・・・
公演詳細・チケット予約は→ www.facebook.com/odedeko


ですが、
マルクスさんのワークは必要です!

「楽しかったね~盛り上がったね~癒されたね~」 でも、
忘れ去って行く、よく有りがちなワークショップとは違って、
マルクスワークの肝は終わった後から始まると言ってもいい私には。

全力疾走のワーク中にぶつかった課題やテーマが、その年の創作指針の一つに成ります。
いつも残る悔しさと、もっと高みを見たいという欲求が持続して、自分なりに戦い探す一年を過ごし、そして一年後に又マルクスワークを受講して、自分の成長の深度を自分で感じ取る。

そしてこのワークが面白いのは、俳優、オペラ歌手、一般の方まで幅広い参加者が集うこと。
キャリアだって、数年の方もいれば、うん十年のベテランもいます。皆さん色んな所の出身です。大事にしていることや創作の方法や手順が違うのは当たり前。だから毎年色~んな事が起こります。
今年も早くも一日目から来てます(笑)

しかし、問題が持ち上がるということが、演出もやっている私にとってはいい勉強になります。
ある問題が持ち上がった時の、演出家の対応の仕方や対処方法を、マルクスから大いに学んでいる最中です。

今年も遠慮なく、良い時間過ごさせてもらいます~~!
 
 

今回のワークは4日間連続で実施しました。
初参加の方が4名。リピーター6名。

欲を言えばそれはもちろんきりが有りませんが、みなさん「協力」し合って良いワークになったと思います。自分がやる事ばかりに一生懸命に成ってる間はまだ入り口です。人がやっていることから、人の苦労から何かを掴めるようになり始めると稽古場には本当のモノづくりの良い空気が満ち始めます。
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「芝居は見る側の気合で作り上げる部分が有る」と言っていたのは、数年前 ”楽屋” で共演した劇団朋友の今本洋子さんでした。この言葉は折に触れて思い出します。


ワーク終了後は感想を書いてもらうことにしています。
皆さんの満足度がどの程度なのか知りたいし、年間何回か実施しているおででこワークですから、要望や意見は貪欲に取り入れて次回に生かしたいからです。

皆さんの理解が深いと私も本当に嬉しいです。
私も以前そこに躓いて苦しんでいたな~と思う感想にも出会います。
その痛みが分かります。
「みんな道の途中だよ」
「わたしもそうだったよ」
「でも今はそこはクリアーして違う種類の難しさに向き合ってるよ」
と、心から励ましたくなります。


わたしは演出でもありますが、やはり長く自分自身が俳優として修行してきた経験と、自分自身が様々な演出家との創作現場で得た宝物や、目から鱗だったと思うことを参加者の皆さんには伝えたいと思っています。

とにかく基本でありながらどこまでも続く探求は、「役者としての肉体の敏感さと、ひらめきに満ちた思考力」を手にすることだと思います。

観客として舞台を見る時、上半身と下半身が分かれてしまっている俳優や、声や小手先の技巧だけに頼っている俳優の空虚さには悲~しくなるんですね。
また、自身で役を深く掘り下げない俳優にはうんざりします。
発想する力のない俳優や、稽古場外で作品について考え続ける行為に喜びを見いだせないなら、基本的に俳優には向いてないかも知れませんね。
せっかくのアイデアを稽古場で試す勇気の無い俳優ももうひと踏ん張りです。


心と体は分かちがたく一つである。
身体が固まっている俳優は心も固まっているってのも本当です。
反対も真です。
心が固まっていると身体は固まります。

心も体も柔らかく自由で繊細で自分に正直でありつつ、相手役と協力できる俳優になる。

これは一日二日のワークで「わかった~」と言って獲得できるものでは有りません。
頭でなんとなくわかってから、繰り返し訓練して身体に落とし込んで、人にもその方法を伝えられるようになって、まるで自転車に乗る技術のように、しばらく乗らずにいてもすぐに勘が戻るようにならなければ、

「出来るようになった」とは言えません。

これは集団稽古じゃなくても一人で日々の鍛錬でも可能です。
でも忍耐が必要ですよ。
本当に自分を磨きたいという「憧れ」と「胆力」が本当に必要です。

稽古場環境や創造現場に恵まれている団体さんは毎日みんなで稽古してるんだと思うと羨ましいです。
それが出来ない弱小団体は一人で鍛えなければなりません。
毎日こつこつと。
鍛えるというのは、スポーツ選手のような目に見える鍛錬だけとは限りません。
柔らかい心とは、この世のすべての事象に対して反応できる心の事です。
遠く離れた地域、過去の出来事、自分とはタイプの違う個人の、ちっぽけな喜怒哀楽にも寄り添える心の事です。
良い俳優になるということは本当に多岐に渡る訓練の積み重ねが必要だと思います。
今出来なくても悲観しなくて大丈夫。
出来ないことが自覚できてるなら凄いことです。
思考の仕方やひらめきも鍛錬で獲得できるものです。

でも、自分は出来ていると思い込んだら最後、せっかく掴んだ可能性の芽も手放してしまいます。


俳優は演出の駒ではない。
作家の言葉を運ぶだけのマシーンではない。
こう言うとまるで演出の言うことを聞かないような態度を想像するかもしれませんが違うんですね。

俳優は演出よりもエキスパートになるということです。
自分の受け持った役のエキスパートになるということです。
わたしは、役にとって必要ならば、ちっぽけな自我なんかポイと捨てられる本物の俳優が大好きです。

さて、今回のワークに参加してくれたうちの何人かの方とは、7月公演終了までの長い創作の旅をご一緒します。難しい挑戦になると思います。
でも、難しいことを「あ~~難しいよ~」とゲラゲラ笑いながら楽しんでやって行こうじゃない。

楽しみです。

ワーク打ち上げ写真
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