今朝は7時前に、昨日は6時に、その前は5時に、目覚まし時計に関係なく勝手に目が覚める。これはちょっとずつ時差ぼけを解消している状態に近いのかな?

おででこ第七回公演「岸田國士の思案」5/26-31@日暮里Art Cafe 百舌。千秋楽が先週の日曜日。
岸田國士の脳内世界から、2015年の日本に帰還して1週間以上が過ぎたが、稽古中に習慣付いてしまった朝5時起きの毎日がこの1週間もまだ続いていた。

今回の公演はなんだったのか・・・
細部の評価はまだこれからだけれど、今回の作品で到達したかった”なにものか”は手に出来た充実感はある。

戯曲と評論を取り混ぜての構成。
「それだけで十分面白い岸田戯曲の合間に、評論を入れる必要があるの?」

そういう質問を何度も受けた。

大タイトルを「岸田國士の思案」とつけた段階で、後戻りの出来ない挑戦に成ったんですと答えてるけど、今回、岸田國士氏の思案の、ほんの一部でもいいからお客様に、「特に若い世代に」プレゼントしたかったのだから、私にとっては評論はこの創作の核だった。

お陰で構成段階から、死ぬ思いの悪戦苦闘になったし、演出に入ってからは、役者陣にも、役を背負っている次元から、よりニュートラルなオープンな状態に移行して評論を読むという、10年選手の俳優でもかなり難易度の高い技術に挑戦してもらった。

しかししんどかった~稽古場も遠すぎた~(もう二度とあの稽古場借りないわ)集中稽古に入ってからは、毎日朝5時に目覚め、評論部分の選定と剪定。2時間近くかけて稽古場に向かい、午後から夜21時過ぎまで稽古。そしてまた2時間近くかけて自宅に戻り、倒れるように眠り、又5時に目覚め評論の選定・・・そんな状態が本番前まで続いて、小屋入りの前日にとうとう発熱してしまった。
(ちなみに体調は、初日前日に、南高梅漬けにんにくワンパックを全部食べ、赤ワインを飲んでバク睡したところ、奇跡的な復活 恐るべしにんにくパワーです

岸田國士、秋子夫妻。
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岸田さんの言葉の選び方は、戯曲同様評論も、時には真意がすぐには伝わらないような、読み解き難い言い回しや曖昧な語尾が多く、これは彼の美意識の成せるわざでもあり、断定的な物言いを美しいと思わないためでもあるけれど、同じ回りくどさでも、書かれた時期では微妙に色彩が違うことを発見した時には、「やっぱりそうなんだ!」と思った。

つまり、物言えぬ空気がたち込めた時代だったということなのだ。戦争へ戦争へと傾いていった昭和10年代、彼は何者かの意向を慮って書かねば成らなくなり、直裁に物が言えなくなった結果、益々比喩的表現に拍車がかかって行ったということなのだ。

特に、彼自身が大政翼賛会の文化部長であった時と、その職を辞めた後では、同じ戦中に書かれた評論でも、表に見える文字の裏に透けて見える”彼の本音”が、ずっと読み取りやすくなっていると感じるのだ。

膨大な彼の評論の中で、今回私が紐解いたのは、新潮社版の全集の十巻が主で、作品の構成に引用したのはその中でもごく一部だけれど、戦中、戦後に書かれた散文、評論の中には、彼の心の底からの怒りや、嘆きや、祈りや、心の叫びに近いニュアンスを感じる文章もあり、彼はこれを泣きながら書いていたんじゃないかとさえ思えるような物もあって、実は、構成のために、一人で自宅でパソコンに向かいながら、私自身が何度も涙が出てきて困った。

彼が戦中、大政翼賛会の文化部長を勤め、その事実によって、戦後GHQより、侵略戦争を推進した側に立った文化人としてレッテルを貼られ、三年間公職追放されたことは知られた事実だが、彼の戯曲に登場する人々の心遣いの美しさや、評論の裏に透けて見える彼の本音や、散文に登場する、彼が好ましいと感じる市井の人々の暮らしのスケッチと、「軍国主義的封建政治の信奉者」としてのイメージがあまりに程遠いので、何でだろうなと以前から疑問を持っていたが、やはり思ったとおり、日本全体があの泥沼の戦争へと急ピッチで突入していった昭和10年代、彼の人気作家としての立場を政治側が利用したのであろうし、彼もその理想家肌の男意気で、その政治側の意思を逆利用して、少しでも日本人に”何事か”を発信しようと、ペンを使って出来うる限りの意識改革をさせようと戦っていたんじゃないかと思うのだが、これはしかし・・・私自身が今回の創作を通じ、余りに岸田さんを好きに成ってしまったが為の肩入れなのかな?

今回の私の創作の目的、若い世代のお客様に、岸田の思案をプレゼントしたいという願いは、いくらかは果たせたようだ。20歳代の観客たちが、「言葉は難しいけど、特に評論が面白かったと」いう感想や、「まるで今の日本人のことを書いてるみたい」という感想をくれている。

そうなのです!そのことを伝えたくて岸田さんの評論をあえて構成に入れたのです。恐ろしいことに、戦後70年目を迎えるはずの今年、この日本に充満している空気が、岸田さんが生きた70年前、80年前の戦中と変わらない「物言えぬ重圧」に満ちているという事。
それは、あの時代の空気を良く知る、私の両親と同世代の70歳代、又はそれ以上の80歳代のお客様が、「面白かった~!実に良く分かる。我々の世代のお客は喜ぶ」とコメントされていることからも・・・複雑な気持に成るが、まさに日本を覆う空気の危うさなのだ。

お客様の声はおででこHPで読んでいただけます→http://odedeko.sakura.ne.jp/history.htm (岸田國士の思案のチラシ画像の下にある「お客様のコメント」をクリックして下さい。)

そして、難しい構成だったからこそ、今回は本当に俳優陣に感謝している。今回ほど役者が誉めらることが、我が事のように嬉しい公演は無いかもしれない。ベテランはベテランの責任において、若手は若手の出来る事を、真摯に、ピュアに、作品と相手役とお客様に向き合ってくれた。

今回のキャストは20歳代が多かった。10歳代も一人居た。そしておででこ初出演が半数いた。私は当然、この若いキャストに、岸田氏の思案を、演者自身が自分の脳で思案し直して欲しいと要求した。みんなどの程度思案して舞台に立ってくれたのかしら?演出が何度も要求した所で、本気に成って役者が行動してくれなければお手上げだ。ただし、その本気の行動の程度の差は、個々の舞台での存在感に直結していたと思う。恐いことだがお客様にはばればれなんだな。

当然、キャストそれぞれが、それぞれの段階の課題をもっている。
役者としてまだ始めたばかりの者。まだ入り口にも立ってないかもしれない者。かなり自立して、本物の表現者への道を歩き始めてる者。演じることとは、かっこ付ける事、嘘をつくことだとずっと思って来た者など。
みんな表現者になろうと志し、何かに憧れて、様々なところで学んできた。その場所やものによって、身につけてきた物が当然沢山ある。そして、ちょっとした巡り会わせで私に出会い、今回の出演に至っている。先ずはそれぞれが懸命に自分のタスクに向き合ってくれたことに感謝したい。

ちょっと極論ですが、私にとっては、みんなが役者としてどう大成して行くかとか、有名になるとか、売れるとかはどうでも良いとは言わないけど、実は二の次だったりする。
だって、中にはとっとと役者に見切りをつける者もいるだろうし、その方がずっと有意義な人生かも知れないし、返って自分で結論を出した勇気は天晴れだし、誉められることかもしれない。中には超~有名になって、何羽にもなって帰って来てくれる者もあるかも知れないし、それはそれで素敵だけど、それよりも、役者としてと言うよりも、人間としての個々の成長に、この創作現場での体験が寄与していたら、本当に私は嬉しい。

今回の創作現場での体験は、個々の人生の中でのリアルな体験。この作品を通しての経験は、虚構の世界を構築するために、個々が生身の肉体を持ち込んで行った、リアルな事実なんだと言うこと。背負った役の人生や、役が生きた時代や、覗き見た岸田さんの脳内世界や、演出に厳しい要求をされ、きつく叱られた事や、遅刻したり、言い訳したりしてかっちょ悪かったことや、もうあまりの出来なさ加減に呆然としてへこんで、帰り道の記憶が無かった事や、愛想笑いも出来なくなって真剣に成らざるを得なく成った瞬間の事の全部が全部、個々の人間成長への糧に成っていることだけを、心の底から願っている。けど、それもまあ、時間の掛かることだし、受け取る器によるのかもしれないし、今回受け取れなくても、いつか分かる時が来るのかもしれない。

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演出の私が本番は役者として入るので、本番の舞台は見ることは出来ない。これはおででこの背負ったリスク。だから場当たり(照明作り)が命だし、ゲネまでは、私自身が出演しているところ以外では客席に飛び出し、駄目だしノートを取り続ける。でも、本番では、裏で役者たちの声を聞きつつ、舞台上の状況や空気を把握するしかなくなる。

つまり、おや?っと思ったときに、キャスト同士で指摘しあえなければ、本番に入ってから作品のクオリティーがずるずると際限なく落ちていく可能性が有るのだ。

だからキャストには、お互いに言い合える信頼と関係性を築く事を要求した。最初稽古場ではギクシャクしていたけど、小屋に入ってからの彼らのチームワークは素晴らしかった。それは、評論部分での演出のつけ方が、その助けになっていたのか?私が余りに厳しいので、キャスト同士が労わりあった結果なのか?微妙だが、今回はキャスト同士がみんな本当に仲良くなって、座組みとして健やかに良く育ってくれた。実際作品も落ちるどころか千秋楽までずっと成長し続けてくれた。

人が持てる魂と、感情と、肉体と、知性と、経験の全てを使ってする仕事が、舞台創作であり表現活動。一人芝居でない限り、集団創作であると言う事は共同作業で、つまり、ちょっと上手いとかちょっと可愛いなんて、実はなんの助けにもならなくて、その人の人間性そのまんまが作品に反映される。

人こそが劇団にとっての財産。
おででこは少しずつそんな確かな財産を築き始めている。それはキャストだけに留まらず、スタッフやブレーンも含めての事。

舞台人にとって、舞台を愛するとは、自分の人生と同じように役の人生を愛することだし、相手役を愛することだし、お客様を愛することだし、劇場空間丸ごと愛することだし、共に演技してくれている小道具を、大道具を、衣装を大切に扱うことだ。
虚構の空間だからこそ、にせものの空間だからこそ、細心の注意で構築しなければ一機に瓦解する。汚いものや、やっつけ仕事は、おででこの舞台には要らない。本当に舞台を愛すると言うことの意味を、本当に知っている本物たちと、これからも繋がって行きたいと切に切に願っている。


沢山のご来場、応援、本当に有難うございました。この経験を糧に、次なるプレゼントをみなさまにお届けできるように、ますます精進していきたいと思います。 どうぞ、これからもおででこの活動に注目してください。


今回の構成の順序と使用した戯曲と評論は下記です。

女らしさ」について  昭和十四年 婦人公論 

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 驟雨  大正15年 文芸春秋

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 空地利用   昭和十八年 文学界

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麵麭屋文六の思案  大正15年 文芸春秋

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青年へ、 昭和十六年 読売新聞   女性へ1、 昭和十六年  朝日新聞

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 遂に知らん文六 昭和二年 週刊朝日

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日本人畸形説 「大事なこと」とは?  「宛名のない手紙」として玄想に連載 1947(昭和22)年31

『日本人とはなにか』前書き = 玄想 第二巻第六号1948(昭和23)年61

六号記 = 文芸懇話会 1936(昭和11)年21

言葉言葉言葉 = 文芸春秋 1924(大正13)年91日発行

妻の日記 = 婦人公論 1943(昭和18)年11日、21日発行