と、進む七月公演の稽古。
稽古期間も半分過ぎたからもうのんびりとはしてられないけど、
稽古場のモチベーションも、創作の密度も良いペースで上がってきている。
キャスト同士の信頼感も。

やることは一杯ある。

衣装の決定、
劇場への下見、
DM発送、宣伝、
大道具制作、
演出プラン、
そして役者としてセリフも入れなくちゃ、
などなどなど・・・

体は一つで一日は24時間で、なかなか難しいです。

今回の岸田理生さんの戯曲は難しい~
でも、一歩一歩確かに進んでます。

出演メンバーは私を含めて総勢13名。
そして今回はパーカッションが入ります。

いつもの如くですが、
出演者へは演出の私が依頼して出演して貰ってます。
みなさんと私との出会いは、別の舞台での共演とか、
おででこワークショップに参加してくれたからとか、
私がお客として舞台を見に行ってスカウトしたりとか・・・
パーカッションの多鹿さんもライブを拝見して、わたし自身がスカウトしました。
だからまあ、
責任重大なのです。
全ては私の責任です。

良い作品作りたいし。
出演者みんなにワクワクして欲しいし。
私自身が演劇には真摯で在りたいし。


先日久しぶりにお会いした神山監督。
お時間が合えばおででこの公演を見に来て下さいます。

「演出は苦しいですね~」
という私に、

「そりゃ~苦しいよ。役者は自分のことだけ考えてれば良いんだから・・・」
と、間髪入れずに出た言葉。
何かお~!と思った。

私、20年ほど前に監督の作品に少し出演している。
役者と監督という立場の時には、聞いたことが無かった言葉です。
私を「演出者」として認めてくれての一言か?

でも役者は又、自分の役の事を考えることが仕事な訳です。
ここで本が読めるかどうかが分かれ目ですけど。
本を読めないと、
目立ってるかとか、セリフが多い少ないかとか、カッコいいとか、可愛いとか低い次元・・・

志が低いとこの辺り。
最近志って言葉あんまり聞かなくなった。
志も聞かないけど憧れも聞かないか。

本物の役者は、人間の美も醜も共に本気で出来るからカッコ良い。まず美とか醜とか分けるのが間違い。人間の営みはエロもなにも全てを内包してる訳で、人間の専門家?研究家?が役者。ある役割を振られて躊躇するのは、生身の人間だと当たり前ですか?でも本来役者は特殊能力者だから、普通の人みたいな躊躇を捨てられないなら辞めた方が良い。

演出だって人間研究がもちろん必要だけど、そこだけではすまない。

5月の頭の「楽屋」で使ったBGを、オペラ歌手の友人が褒めてくれてた。
嬉しかった。
すぐに決定できなかったBG。悩んで決定したBGはショパンだった。
クラッシックの専門教育を受けてない私は、その曲の背景まではよく知らないまま、聞いた自分の感性、感覚で決めてたけど、彼女が言うには、作曲家自身の人生と「楽屋」という戯曲が内包するテーマがぴったり符合していたのだという。

理論で入るか?感覚で入るか?
結果良けりゃどっちも良い。

身近な人に相談して濁ってしまう結論。
信頼している役者であっても、役者と演出は見てる風景が違うから。
仕事のレンジが違うから。
演出としての最終決定は自分と孤独に向き合うしかない。


先日女性演出者三人で飲み。
大変だった現場で出会ってるからこそ同士のように思える人。
その現場で会って、こうして又飲みたいと思える人は余りいない。
この飲みの収穫は、

「目的が違ってしまうと駄目なんだ」って言葉。

シンプルで何気ないけど本質的。
今年の後半のテーマはこれだな

沢山のサジェスチョンや気遣いも、善意から発しているからこそ困った足かせになったりする。
でも、結局はわたしだよ。わたしが目的を見失わないなら大丈夫。

「火學お七」面白くなると思います。
キャストみんな良いですよ。
わたしのキャスティング割と褒められます。
今回も良いですよ。適材適所です。
おででこなりのアバンギャルド、見て欲しいです。


お七が終わったら7月29(金)-31(日)の京都の山での空間造り。参加募集中です。

8月はまた京都の山でこけら落としの予定。
この企画を共に乗って進めてくれる仲間にもめぐり会いました。
物事は進む時には進む。

出会いって凄い。
別れが有れば出会いも有る。
必要な再会も果たしている気がする。

近日詳細発表します。
全ては目的を見失わずに一歩一歩でね。