昨日、国会で共謀罪が強行採決された。
彼らが共謀罪を欲しがってるのは何故か?この法律が成立した日本は今よりも素敵なのか?
そのことを自分の頭で考えている人はこの国に何パーセントいるのだろう?表現者と名乗る人たちの何パーセント?演劇人と名乗る人たちの何パーセントいるのだろう?
GW芦見谷の企画について。
今回は5/3-5/7の期間中に滞在者用の小屋作りと、夜は芝居の稽古もしつつ、5/6(土)にその稽古の成果発表であるリーディング公演を行うという、猛烈合宿型のプロジェクトでした。
リーディングは、「非戦を選ぶ演劇人の会」が毎年呼びかけている企画に、「おででこ」として初ジョイン。
「9条を好きと言えなくなって」(20分・2014年初演 作:篠原久美子 + 非戦を選ぶ演劇人の会)
『茶色の朝』 フランク・パブロフ作、藤本一勇訳、大月書店刊
の二作品。
出演希望者には、上演作品は前もってオープンにしている。三日間の夜しか稽古が取れないので、作品をとにかくよく読んできてほしいとメールを入れた。三日間全て稽古に参加することを条件としていたが、遅れて参加する方も居た。拠点が東京の「おででこ」繋がりの参加者は、今回は全て東京から。GW中、東京だけでなく全国各地でキラキライベントが沢山あるのに、結構な交通費を使い京都まで。それも京都の秘境京北の、携帯圏外ワイルドな森の芦見谷まで、D.I.Yで肉体労働しつつリーディングもすると言う企画に来てくれる・・・・改めて書くと凄いね参加したみんな!自分の直観に従って行動に移せる人たち。その心意気とアクションが嬉しくて、遅れて参加の方もみんな出演してもらうことにした。
「9条・・・」は非戦を選ぶ演劇人の会がHP上で発表している台本。「茶色の朝」は私が選んだ。私自身がいつか朗読したいと思っていた作品だ。
夕方作業を終え、みんなでご飯を食べて、五右衛門風呂に入り、宿泊所としてお借りしているログハウスで(今クラウドファンディングで獲得を目指しているログハウスです)初日の稽古開始。初日から参加しているのは、おででこ常連、芦見谷リピーター組、知野三加子(劇団SWAT!)本庄由佳、宮村(セツコの豪遊)、そして佐野明日奈ちゃんは、3月のおででこ発表会を見に来て触発されての初参加。まず問題になったのは「9条・・・」について。ある出演者から、余りにも直接的な言葉で書かれている台詞をどう発話すればいいのか分からないと意見が出る。
「葛藤が無いですよ」
「みんな同じ賛成意見で最初から結論ありき」
「正直やりたくないです」
庇う訳では無いが、彼女のこの強気な発言は、作品を真剣に読み込み考えて来たからこそ出る。稽古が始まって直ぐに、思いのたけをぶつけるのは、若いな~とも思うが、彼女なりに悩んだ証拠。書かれている細かい法律用語についても一々調べて来ているという誠実さに本気さを見る。
そう思う半面、「アタリマエだよ須川君」と師匠の声が脳内で響くのも確か。
次元の低い話で、そういう出演者がいるのは主催として情けないが、読めない漢字にルビを振る事さえせずに、詰まっても人に教えられる事を恥じとも思わないで稽古場に来る人が多くなった昨今・・・「許しちゃ駄目だよ須川君」脳内で師匠の声が響くが、あまりにその手の人たちが増えてくると一々注意する気も・・・
話が逸れた。
他の参加者からも意見を出してもらい、書かれている内容を租借し、共通認識をとる作業で初日の稽古は終わる。こういう対話が大事だ。作品について自分の好き嫌いも含めて話す。自分が読んだ所感や意見や好き嫌いを共演者に伝える。共演者が思う意見や所感を訊く。この意見を言い合うことが大事だと思う。自分の与えられたパートだけを熟せば良いんじゃない。他の共演者が何を思うのか?今回の稽古がどこを目指しているのか?木を見て森を見ずでは、全体の中の唯一無二の駒として自分を生かせない。逆説的だが真実なのは、自分の事ばかり考えていては自分を生かせない。自分を捨てて自分が生き始める。俳優、役者とはそういう作業をする者の事だ。
稽古とは、「古きをたずねて新しきを知る」行為。粘り強く胆力をもってその行為を楽しむこと。
もうすでに知っている事柄も、稽古するたびに新たな発見をする心の若さと謙虚さを持つ者が俳優。
「もうやりたくない」と稽古初日に言った彼女には、「稽古を重ねてもやっぱり嫌ならこっちの作品は参加しなくても良い」と伝える。「稽古を重ねても」そう思うなら強制はできない。でも、好きじゃないから遣りたくないでは俳優は無理だ。好きじゃなくて遣りたくない役を自分の血肉にして、どう自分ごとにして発話するか?この作業が稽古すること。作品を自分に引き寄せるのではなくて、自分が作品に近づく行為。自分から近づく。自分を変える、自分のレンジを変える。この特殊な作業が、俳優が稽古するということ。自分との格闘に近いこともままあるのが稽古。
今回は特に参加資格を設けていない。初めて演劇しますという人から、演劇経験豊富なベテランまで、参加したい人は皆どうぞ!だけどその中で、創作のゴールを一応どこかに設定しなければならない難しさがある。みんなの意見を受けて、初日稽古解散後は一人台本アレンジに取り掛かる。
2日目も朝からD.I.Y。天気がいい。みんな6時前には自然と起き出して、竈に火を起こしてご飯作り。食卓の準備。ドイツ人宮大工Peter Parsh さんが9時に到着。9時半から2日目の作業開始。昨日もたついていた作業も1日やるとみんな手慣れたもので、作業のスピードもアップ。進捗が目に見えるのはやる気が出る。ご飯作り担当も全員で回す。2日目になるとある生活リズムが生まれて来て、言われてやるのではなく、それぞれが気がついた事や出来る事をやるという、静かで親密な心地よい空気がグループに生れている。この日は夕方には燐光群の桐畑理佳さんが到着予定。本当は初日からの参加を表明してくれていたが、直前にアクシデントが発生し一時は参加断念。でも何とかやりくり付けて2日目の夕方に到着してくれました。バス停に迎えに行く。続いて自分の車で現れたAsh(カワサキアリス代表)2015年以来2度目の芦見谷登場。昨年のGW燐光群企画の「楽屋フェス」では女優B役で、おででこの楽屋に参加。この芦見谷で「楽屋フェス」繋がり3人が同時に再会。
今回の動画はこちら
2日目夜の稽古は新たに二人が加わり「茶色の朝」に取り掛かる。
ここでも本をどう読むか?その作品の肝をどうとらえるかの差が現れる。この作品ならやりたいと言う者。これは難しいと言う者。様々な出自を持つ女優たち。作品をどうとらえるかが個性で、自身の思想と履歴がその個性を形作る。
「茶色の朝」フランク・パブロフ作、藤本一勇訳、大月書店刊。は、一種寓話のような、詩のような、恐い内容ながら文体が美しい。フランス語はまるで駄目な私には原文は読めないが、フランス語から日本語への訳者の言葉選びや文章のリズムも素晴らしいのだろうと思う。パブロフがこの物語を書いたのは、極右政党のマリー・ルペンが初めてフランス大統領選で決選投票に残り、シラク大統領と一騎打ちを演じた2002年のころ。極右の台頭を許す社会への警告として、パブロフはこの作品の印税を放棄し、たった1ユーロの定価で出版した。2002年から15年がたった今年、マリー・ルペンの娘マリアーヌ・ルペンが、フランス大統領選挙で再び決選投票に残ったが敗退した。しかし世界はパブロフの警告通りに進んでいるようだ。アメリカではトランプが大統領になり、日本では安部が首相の座に座り続け、2020年に憲法改正と言い出し、今国会で共謀罪を成立させようとしている。パブロフが世界に発した警告音はますます大きく響いているが、みんなが無関心でいる間に、世界は、彼が描いて見せた「茶色の世界」に向かってすさまじい勢いで塗りかえられているようで、悪寒と吐き気を覚える。
なぜこの作品を選んだのか? それはつまり今の日本が、今の世界がこうだから。なぜ9条なんて政治的なお題を?その事も説明しなくちゃいけないの?と思うと正直しんどいが、それはつまり、今あなたが手にしている宝物を、良く知りもしないで手放してしまう前に、出演者も観客も先ずは知る事が大事じゃない?知って自分の脳で思考してこれからあなたが生きたい世の中を決めても良いんじゃない?と、心底思っているからですよ。
しかし分かってはいたものの、この重要な要素を沢山持つ作品二本。出自の違う出演者が、感性も思想も社会への関心の持ち方も違う出演者が集まり、たった三日でリーディングとは言え命を宿すことは困難の極み。
二日目の稽古が終わり、母屋に戻り飲み直す。母は既に床に入っている。今年77歳になる父の眞一は癌の治療ですっかり体力が衰えているが、みんながこうして芦見に集まってくれたことが嬉しくて仕方がない。嬉々としてお喋りに付き合っている。父眞一は、劇団ふるさときゃらばんの制作をしていた時期が有った。私が十代の頃で、ある意味で人生の危機だった頃だけど、北海道ツアーと九州ツアーに同行した。それが無ければ私は演劇はやっていないのかな?なんとAshと桐畑さんもそれぞれきゃらばんと縁があるとの話で盛り上がる。そのきゃらばんは一昨年、演出の石塚さんが急逝して解散した。解散の時に譲ってもらった照明器具の幾つかは芦見谷で引き継いでいる。
お借りしているログハウスの電気は発電機を回している。疲れているだろうに父が起きているのは、みんなが床に入った後、発電機を切らなくちゃいけないからでもある。
三日目の朝も良い天気。このまま明日のリーディング公演を迎えて貰いたいと思う。3日目の午前中に本庄由佳の演劇つながりではない友人?同僚?の安藤さんが関東から到着。今回唯一の男子参加。おまけに都会的なイケメンさんだ。彼はD.I.Yの心得が有ると見えて到着してすぐに丸鋸でバシバシ材木を切断してくれる。女だらけのD.I.Y現場にイケメンが一人加わり何だかみんな賑々しい。午後には鈴木陽代さん到着。こけら落とし以来二度目の芦見谷。これで出演者が全員揃う。作業が出来るのはこの日で終わりなので、可能な限り、出来るところまで進める。
三日目の作業動画
そして夜、出演者全員集合で稽古開始。「9条・・・」の台本のアレンジをみんなに伝える。元々2014年に書かれたが、たった3年前なのにもう同時代性を感じられない部分をカットする。しかしその事からも、慎重であるべきはずのことが凄まじい勢いで進行している事を感じる。こんなに急激に変化することが良いはずない。何の拘束力もない「閣議決定」乱発して、既成事実化する安部政権の「そういう手」に乗せられて良いはずない。「9条・・・」は文学的な台本ではないかもしれないけど、そのことをきちんと言葉で伝えてくれている本だ。表現者である私たちにとって大事な部分、例えば報道の自由度ランキングが今日本は何位なのか知っているだろうか?私も正確には知らなかった。2010年11位だったのに、2013年12月特定秘密保護法が公布され、2013年一気に53位に転落。2015年61位、2016年72位・・・2017年は更に転落するだろう。このブログで2013年と2014年の12月に、特定秘密保護法の事を書いている。一名も無い演劇人として、普通の日本人として危機感を持っているから書いている。そして2017年共謀罪成立?・・・あなたは密告奨励社会に住みたい?ブレヒトの「第三帝国の恐怖と貧困」ナチスの時代に奨励されたのは密告。実の親でも売り飛ばす。そういう法律がこの共謀罪。
わたしがこの作品を選んだのは、「もし本当に共謀罪が成立したら、来年は芦見谷で【9条】を題材にしたリーディングはいよいよ出来なくなってしまうかも知れないから」
台本アレンジは成功したようだ。盛りだくさんの内容がすっきりした。短い稽古でたどり着くべき範囲がくっきりした。初日稽古でやりたくないと言っていた彼女も満足気。明日は朝八時から野外ステージでリハ。そして開演の準備。
翌朝はどんより曇っている。降水確率は50%。朝ご飯を食べて、早々にリハ。昨日飲みながらの提案で、Ashの琵琶の演奏を入れることになった。ほとんどぶっつけ本番だ。去年の杮落しでは観客が30人来てくれているが、今回は送迎の車を出さないので自力で来れる方に限られる。
リハ後私はPCに向かい当日パンフを用意する。私も出演者の一人なんだから化粧もしなくちゃ着替えもしなくちゃだ。駐車場の準備や会場の準備をみんなでしてくれている。出演者じゃない安藤さんが、眞ちゃんと色々準備してくれて大助かり。開場11:30、PC作業を一区切りして外に出たら、雨が降っている。12時、降りがますます激しく本気度を増していく。おやおや・・・
「どうしますか須川さん?」みんな私の顔を見詰める。どうするか?決めないとね。決断するのは私だ。最悪止まない時はログハウスの一階を会場にすることにして準備続行。
しかし・・・こんなに本気で降ったら客足に響くよ~
キャンプサイト整備の工事で相談に乗ってくれていた三好さんが、お子さん二人を連れて到着。
こけら落としでも協力してくれた従兄、清水焼ろくろ師の良太さん「これは止むで~」と言いつつ到着。さるうやオーナーの千葉君到着。宮大工則藤さんと、Peterさんも到着。おででこ京都事務所の大家の山田さん到着。そして嬉しいことに金沢から岡井さん到着。去年東京で参加したヤルマーのフォーラムシアターワークショップ。金沢での実施会場を提供していたのが岡井さんの劇団。金沢の後ヤルマーは芦見にやって来て、スペシャルワークを開いてくれた。
2016年夏ヤルマーさん in 芦見谷
今回のお客様はここ止まり・・・
寂しい状況なのは雨が原因か?
それとも9条か?
天気はと言うと、これがまたこけら落としのミラクルアゲイン!
13時の開演丁度にピタッと上がって日が差して来た!

出演者一同雑巾を持って野外ステージに向かい水溜りを拭いて、
15分遅れで開演!
くそ~!芦見谷の神様に試されてるな~「それでもやるのあんたたち?」
二本のリーディングはあっという間に終了。
母屋のデッキの下でそのままアフタートークに入る。
昌子さんが売り物として沢山用意した、おにぎりやカレーを振る舞う。もうフリーでどうぞ~
ビールで乾杯。車で来ている人にはフリービール。
アフタートークの様子を、私の曖昧な記憶だが自分のために書き残します。細かい所は違っていると思う。異論が有る方は訂正をお願いしたい。
最初は型通りのサンクススピーチの応酬で普通な感じでスタート。
Mさんが、テレビを見ながら、小学6年生の息子さんと、北朝鮮やっつけちゃえ!と、「9条・・・」の台本の中に出てくるような会話をするのだと話してくれる。だから二本のリーディングを聞きながら色んな事を考えたと。
C君からは、「何でみんなこれをやろうとしたんですか?」と質問。彼とは東京で「ブレヒト作品」で共演したことが有り、今回出演しないかと誘っているが、やはり9条に思案して、まるで選挙応援のポスターを入口にかけてるレストランみたいで嫌だと断られた。
彼の質問には、自身も演出で団体主宰者のAshが、「女性演出同士の私に興味が有るし、芦見谷がどうなっていくかに興味が有るから参加した。この政治的作品をどう演出するのか興味が有った。憲法を若い頃に研究していたから久しぶりにその若い頃に感じたことを台詞言いながら思い出した」と答える。
Aさんからも、「みなさん何故これをやってるんですか?やっている人は何を思っているのか?私は戦争が良いか悪いかは判断がつかない。武器を持たされて敵を目の前にして、まさに撃たなければいけない瞬間にならないと判断できない気がする・・・戦争に対する実感が無い・・・」
この質問には私が作品を選んだ者として答えた。「この作品をやることで、観客も出演者も考え始める切っ掛けにして欲しいと思っている。正直言って短い稽古の為に、本当ならば出演者同士が了解しているはずのコンセンサスが取り切れていないので、演者それぞれに委ねている」という言い方をした。
このAさんの意見を受けて、押し黙っていた観客の皆さんが話し始めた。
Yさんが、「戦争は絶対駄目だ。戦争を起こしては駄目だ」と明快に言い切った。
Oさんは、「私たちは国同士ではなく人同士であるべきだ。以前イスラエル人と共同創作をしたときに、友人から絶交だと言われたが、なぜそういう反応になるのか?そうやって国対国で一括りにせずに、個人である人と人が繋がる事が大事だろう」という主旨の発言が有った。
Rさんは「息子が丁度就職活動をしている22歳だが、戦争になったら行くのは俺らやんな~やっぱり嫌やな~と話すことがあるね」との発言。
それを受けて明日奈ちゃんが、「私同じ22歳だけどそんな風に考えたことなかった・・・」
Aさんは会社員だ。私より少し若い世代。野球をやっている男の子のお子さんが居ると聞いた。もしこの先近い将来日本が大手を振って戦争出来る国になり、もし徴兵制が敷かれたら、男の子は強制的に鉄砲を持たされる。70年前の戦争の時のように、普通の大学生が学校を強制的に辞めさせられて、南方や中国に送り込まれて殺し合いをさせられるような時代が再びやって来たら、敵を目の前にして撃たなければいけない瞬間に直面するのは、Aさんではなく息子さん世代だろう。Aさんも私たちも残念ながらラッキーなことに年齢的にはセーフ。セーフティゾーンの中。
ちなみに今国会で、日本を戦争出来る国に作り変えたいと法整備を急いでいる安部首相も自民党の閣僚も公明維新の議員もみ~んなセーフティゾーンの中。自分ではない誰かが鉄砲の前に立ち、殺し合いをしてくれることで、「経済を回せるようにしよう」というのが今の日本政府が目指すところ。戦争経済の為の法整備。その事がくっきり想像できたなら、そのことまで明確に連想できたなら、そのことについて考え始める切っ掛けになったなら、芦見谷まで来てくれた意味が有るように思うんです。
一番年長のNさんが、「戦争が終わった時は8歳で、広島の近くの福山に居たけど、グラマンに機銃掃射で撃たれたの覚えてるわ~。今はそんなことしたら問題やろうけど、戦争中は先生にぶっ叩かれて、今でも左の耳がよう聞こえへんねん。そやからな、戦争が終わった時嬉しかったな~民主主義ってええもんやな~と思ったな~」
普通の人が語る実感。こう言う体験を生で聞けたなら、ピースリーディング企画をする必要は無い。
だんだんと、体験した世代が亡くなって行くから、あえてこう言うことを考える場を作らないと、集団としての記憶を継承していけなくなる。演劇は、集団としての記憶を語り継ぐ装置として発達した部分を持つ。娯楽としてだけではなく。
今回はとても消耗した。父も母も疲れたと思う。癌の科学治療で体力を奪われている父はこのところ弱気な発言をするようになった。アフタートークで、何故そう言いう流れになったのか?「この場所を引き継がないかと親戚や身内の若い子に話してきたが、なかなか本気に成る人が居なかった。でも突然この人が(私を指し)芸術の森を創ろうと言い始めて、ここが未来に引き継がれる希望が出て来ました。僕たちはもうすぐいなくなる。ここは皆さんの場所です!」と泣いた。
最終日の朝、疲れ果てて7時前まで起き来ない両親。みんなお腹を空かせているので、今日の朝ごはんの材料を聞きに両親の寝床に向かうと、目を閉じたまま上向きで、布団から出した手を握り合っていた二人。
この芸術の森創りを前に進めて行きたいと思っています。
クラウドファンディングへの挑戦もどうぞ応援してください。1000円から応援してもらえます。訪れた人みんながアーティスト、作り手になれる森創り。どうぞ芦見谷のこれからの未来を一緒に作る仲間になって下さい。
他の演出さんの稽古場はよく知らない。私が役者として他団体に出る時は、とにかく難しいことを楽しみたいと思っている。役者のM性を発揮出来るから嬉々としてるだろうと思う。
私が演出の稽古場は、過去に強烈なプレゼントをくれた演出さんたちの真似をしています。節操なくても良いものは真似ます。これまで「師匠」と言える演出に4人出会っている。多い?少ない?誰かと比較は出来ないけど、その4人に出会った私はラッキーだ。私の稽古場ではそこここに、場面場面で、濃度を変えて、常にその4人の要素がミックスで立ち込めていると思う。
演出のYESマンばかりの稽古場は一見うまく行ってるように見えて、本当に面白い物は創造されない。
かと言って、物事を勝ち負けで判断する人たちは疲れる。意見を言うことと同じくらい、人の意見を聞いて、自分がミックスしていくことが大事。演出に勝ちたい思いが強て反発だけしてても不毛だ。
「仲良しでこの座組最高!みんな有難う~!」とFBやブログに書かないとマナー違反とか思ってるのはもう・・・私とは関わり合い無い。それって表現者ではなくてなんか別物でしょ?基本的にみんな人の目を気にし過ぎで、自分の本当の感情にアクセスできてないから型通りの当たり障りのないキラキラワード。一種の現代人病だと思う。
じゃあ、私はどういう稽古場を求めているか?
私自身の今のテーマは「本音で対話」しあう表現者たちです。
日本人は議論が下手です。フラットな立ち位置で人間関係を捉えられないから、相手にシンプルに自分の意見を言うことも、相手の話を聞くことも下手。これは国民的弱点。国家的な課題だと思う。
意見を言ったり、人の意見を聞いて自分の意見が変わる事を楽しむ知的な楽しみ。変化する自分を恐れずに楽しむ。知的好奇心とブレインストーミングをお互いに味わい楽しめるメンバーが、頭でっかちにならずに体で変化を感じ取って、前に進んでいくパフォーマー達との稽古。
さて、7月リオフェスに向けて稽古が進行しています。今回は長い稽古期間を取って、全員参加できる体制で少しずつ進めています。これも昨年の反省から。失敗はそのまま放置すると失敗だけど、そこから学べば良い。
彼らが共謀罪を欲しがってるのは何故か?この法律が成立した日本は今よりも素敵なのか?
そのことを自分の頭で考えている人はこの国に何パーセントいるのだろう?表現者と名乗る人たちの何パーセント?演劇人と名乗る人たちの何パーセントいるのだろう?
GW芦見谷の企画について。
今回は5/3-5/7の期間中に滞在者用の小屋作りと、夜は芝居の稽古もしつつ、5/6(土)にその稽古の成果発表であるリーディング公演を行うという、猛烈合宿型のプロジェクトでした。
リーディングは、「非戦を選ぶ演劇人の会」が毎年呼びかけている企画に、「おででこ」として初ジョイン。
「9条を好きと言えなくなって」(20分・2014年初演 作:篠原久美子 + 非戦を選ぶ演劇人の会)
『茶色の朝』 フランク・パブロフ作、藤本一勇訳、大月書店刊
の二作品。
出演希望者には、上演作品は前もってオープンにしている。三日間の夜しか稽古が取れないので、作品をとにかくよく読んできてほしいとメールを入れた。三日間全て稽古に参加することを条件としていたが、遅れて参加する方も居た。拠点が東京の「おででこ」繋がりの参加者は、今回は全て東京から。GW中、東京だけでなく全国各地でキラキライベントが沢山あるのに、結構な交通費を使い京都まで。それも京都の秘境京北の、携帯圏外ワイルドな森の芦見谷まで、D.I.Yで肉体労働しつつリーディングもすると言う企画に来てくれる・・・・改めて書くと凄いね参加したみんな!自分の直観に従って行動に移せる人たち。その心意気とアクションが嬉しくて、遅れて参加の方もみんな出演してもらうことにした。
「9条・・・」は非戦を選ぶ演劇人の会がHP上で発表している台本。「茶色の朝」は私が選んだ。私自身がいつか朗読したいと思っていた作品だ。
夕方作業を終え、みんなでご飯を食べて、五右衛門風呂に入り、宿泊所としてお借りしているログハウスで(今クラウドファンディングで獲得を目指しているログハウスです)初日の稽古開始。初日から参加しているのは、おででこ常連、芦見谷リピーター組、知野三加子(劇団SWAT!)本庄由佳、宮村(セツコの豪遊)、そして佐野明日奈ちゃんは、3月のおででこ発表会を見に来て触発されての初参加。まず問題になったのは「9条・・・」について。ある出演者から、余りにも直接的な言葉で書かれている台詞をどう発話すればいいのか分からないと意見が出る。
「葛藤が無いですよ」
「みんな同じ賛成意見で最初から結論ありき」
「正直やりたくないです」
庇う訳では無いが、彼女のこの強気な発言は、作品を真剣に読み込み考えて来たからこそ出る。稽古が始まって直ぐに、思いのたけをぶつけるのは、若いな~とも思うが、彼女なりに悩んだ証拠。書かれている細かい法律用語についても一々調べて来ているという誠実さに本気さを見る。
そう思う半面、「アタリマエだよ須川君」と師匠の声が脳内で響くのも確か。
次元の低い話で、そういう出演者がいるのは主催として情けないが、読めない漢字にルビを振る事さえせずに、詰まっても人に教えられる事を恥じとも思わないで稽古場に来る人が多くなった昨今・・・「許しちゃ駄目だよ須川君」脳内で師匠の声が響くが、あまりにその手の人たちが増えてくると一々注意する気も・・・
話が逸れた。
他の参加者からも意見を出してもらい、書かれている内容を租借し、共通認識をとる作業で初日の稽古は終わる。こういう対話が大事だ。作品について自分の好き嫌いも含めて話す。自分が読んだ所感や意見や好き嫌いを共演者に伝える。共演者が思う意見や所感を訊く。この意見を言い合うことが大事だと思う。自分の与えられたパートだけを熟せば良いんじゃない。他の共演者が何を思うのか?今回の稽古がどこを目指しているのか?木を見て森を見ずでは、全体の中の唯一無二の駒として自分を生かせない。逆説的だが真実なのは、自分の事ばかり考えていては自分を生かせない。自分を捨てて自分が生き始める。俳優、役者とはそういう作業をする者の事だ。
稽古とは、「古きをたずねて新しきを知る」行為。粘り強く胆力をもってその行為を楽しむこと。
もうすでに知っている事柄も、稽古するたびに新たな発見をする心の若さと謙虚さを持つ者が俳優。
「もうやりたくない」と稽古初日に言った彼女には、「稽古を重ねてもやっぱり嫌ならこっちの作品は参加しなくても良い」と伝える。「稽古を重ねても」そう思うなら強制はできない。でも、好きじゃないから遣りたくないでは俳優は無理だ。好きじゃなくて遣りたくない役を自分の血肉にして、どう自分ごとにして発話するか?この作業が稽古すること。作品を自分に引き寄せるのではなくて、自分が作品に近づく行為。自分から近づく。自分を変える、自分のレンジを変える。この特殊な作業が、俳優が稽古するということ。自分との格闘に近いこともままあるのが稽古。
今回は特に参加資格を設けていない。初めて演劇しますという人から、演劇経験豊富なベテランまで、参加したい人は皆どうぞ!だけどその中で、創作のゴールを一応どこかに設定しなければならない難しさがある。みんなの意見を受けて、初日稽古解散後は一人台本アレンジに取り掛かる。
2日目も朝からD.I.Y。天気がいい。みんな6時前には自然と起き出して、竈に火を起こしてご飯作り。食卓の準備。ドイツ人宮大工Peter Parsh さんが9時に到着。9時半から2日目の作業開始。昨日もたついていた作業も1日やるとみんな手慣れたもので、作業のスピードもアップ。進捗が目に見えるのはやる気が出る。ご飯作り担当も全員で回す。2日目になるとある生活リズムが生まれて来て、言われてやるのではなく、それぞれが気がついた事や出来る事をやるという、静かで親密な心地よい空気がグループに生れている。この日は夕方には燐光群の桐畑理佳さんが到着予定。本当は初日からの参加を表明してくれていたが、直前にアクシデントが発生し一時は参加断念。でも何とかやりくり付けて2日目の夕方に到着してくれました。バス停に迎えに行く。続いて自分の車で現れたAsh(カワサキアリス代表)2015年以来2度目の芦見谷登場。昨年のGW燐光群企画の「楽屋フェス」では女優B役で、おででこの楽屋に参加。この芦見谷で「楽屋フェス」繋がり3人が同時に再会。
今回の動画はこちら
2日目夜の稽古は新たに二人が加わり「茶色の朝」に取り掛かる。
ここでも本をどう読むか?その作品の肝をどうとらえるかの差が現れる。この作品ならやりたいと言う者。これは難しいと言う者。様々な出自を持つ女優たち。作品をどうとらえるかが個性で、自身の思想と履歴がその個性を形作る。
「茶色の朝」フランク・パブロフ作、藤本一勇訳、大月書店刊。は、一種寓話のような、詩のような、恐い内容ながら文体が美しい。フランス語はまるで駄目な私には原文は読めないが、フランス語から日本語への訳者の言葉選びや文章のリズムも素晴らしいのだろうと思う。パブロフがこの物語を書いたのは、極右政党のマリー・ルペンが初めてフランス大統領選で決選投票に残り、シラク大統領と一騎打ちを演じた2002年のころ。極右の台頭を許す社会への警告として、パブロフはこの作品の印税を放棄し、たった1ユーロの定価で出版した。2002年から15年がたった今年、マリー・ルペンの娘マリアーヌ・ルペンが、フランス大統領選挙で再び決選投票に残ったが敗退した。しかし世界はパブロフの警告通りに進んでいるようだ。アメリカではトランプが大統領になり、日本では安部が首相の座に座り続け、2020年に憲法改正と言い出し、今国会で共謀罪を成立させようとしている。パブロフが世界に発した警告音はますます大きく響いているが、みんなが無関心でいる間に、世界は、彼が描いて見せた「茶色の世界」に向かってすさまじい勢いで塗りかえられているようで、悪寒と吐き気を覚える。
なぜこの作品を選んだのか? それはつまり今の日本が、今の世界がこうだから。なぜ9条なんて政治的なお題を?その事も説明しなくちゃいけないの?と思うと正直しんどいが、それはつまり、今あなたが手にしている宝物を、良く知りもしないで手放してしまう前に、出演者も観客も先ずは知る事が大事じゃない?知って自分の脳で思考してこれからあなたが生きたい世の中を決めても良いんじゃない?と、心底思っているからですよ。
しかし分かってはいたものの、この重要な要素を沢山持つ作品二本。出自の違う出演者が、感性も思想も社会への関心の持ち方も違う出演者が集まり、たった三日でリーディングとは言え命を宿すことは困難の極み。
二日目の稽古が終わり、母屋に戻り飲み直す。母は既に床に入っている。今年77歳になる父の眞一は癌の治療ですっかり体力が衰えているが、みんながこうして芦見に集まってくれたことが嬉しくて仕方がない。嬉々としてお喋りに付き合っている。父眞一は、劇団ふるさときゃらばんの制作をしていた時期が有った。私が十代の頃で、ある意味で人生の危機だった頃だけど、北海道ツアーと九州ツアーに同行した。それが無ければ私は演劇はやっていないのかな?なんとAshと桐畑さんもそれぞれきゃらばんと縁があるとの話で盛り上がる。そのきゃらばんは一昨年、演出の石塚さんが急逝して解散した。解散の時に譲ってもらった照明器具の幾つかは芦見谷で引き継いでいる。
お借りしているログハウスの電気は発電機を回している。疲れているだろうに父が起きているのは、みんなが床に入った後、発電機を切らなくちゃいけないからでもある。
三日目の朝も良い天気。このまま明日のリーディング公演を迎えて貰いたいと思う。3日目の午前中に本庄由佳の演劇つながりではない友人?同僚?の安藤さんが関東から到着。今回唯一の男子参加。おまけに都会的なイケメンさんだ。彼はD.I.Yの心得が有ると見えて到着してすぐに丸鋸でバシバシ材木を切断してくれる。女だらけのD.I.Y現場にイケメンが一人加わり何だかみんな賑々しい。午後には鈴木陽代さん到着。こけら落とし以来二度目の芦見谷。これで出演者が全員揃う。作業が出来るのはこの日で終わりなので、可能な限り、出来るところまで進める。
三日目の作業動画
そして夜、出演者全員集合で稽古開始。「9条・・・」の台本のアレンジをみんなに伝える。元々2014年に書かれたが、たった3年前なのにもう同時代性を感じられない部分をカットする。しかしその事からも、慎重であるべきはずのことが凄まじい勢いで進行している事を感じる。こんなに急激に変化することが良いはずない。何の拘束力もない「閣議決定」乱発して、既成事実化する安部政権の「そういう手」に乗せられて良いはずない。「9条・・・」は文学的な台本ではないかもしれないけど、そのことをきちんと言葉で伝えてくれている本だ。表現者である私たちにとって大事な部分、例えば報道の自由度ランキングが今日本は何位なのか知っているだろうか?私も正確には知らなかった。2010年11位だったのに、2013年12月特定秘密保護法が公布され、2013年一気に53位に転落。2015年61位、2016年72位・・・2017年は更に転落するだろう。このブログで2013年と2014年の12月に、特定秘密保護法の事を書いている。一名も無い演劇人として、普通の日本人として危機感を持っているから書いている。そして2017年共謀罪成立?・・・あなたは密告奨励社会に住みたい?ブレヒトの「第三帝国の恐怖と貧困」ナチスの時代に奨励されたのは密告。実の親でも売り飛ばす。そういう法律がこの共謀罪。
わたしがこの作品を選んだのは、「もし本当に共謀罪が成立したら、来年は芦見谷で【9条】を題材にしたリーディングはいよいよ出来なくなってしまうかも知れないから」
台本アレンジは成功したようだ。盛りだくさんの内容がすっきりした。短い稽古でたどり着くべき範囲がくっきりした。初日稽古でやりたくないと言っていた彼女も満足気。明日は朝八時から野外ステージでリハ。そして開演の準備。
翌朝はどんより曇っている。降水確率は50%。朝ご飯を食べて、早々にリハ。昨日飲みながらの提案で、Ashの琵琶の演奏を入れることになった。ほとんどぶっつけ本番だ。去年の杮落しでは観客が30人来てくれているが、今回は送迎の車を出さないので自力で来れる方に限られる。
リハ後私はPCに向かい当日パンフを用意する。私も出演者の一人なんだから化粧もしなくちゃ着替えもしなくちゃだ。駐車場の準備や会場の準備をみんなでしてくれている。出演者じゃない安藤さんが、眞ちゃんと色々準備してくれて大助かり。開場11:30、PC作業を一区切りして外に出たら、雨が降っている。12時、降りがますます激しく本気度を増していく。おやおや・・・
「どうしますか須川さん?」みんな私の顔を見詰める。どうするか?決めないとね。決断するのは私だ。最悪止まない時はログハウスの一階を会場にすることにして準備続行。
しかし・・・こんなに本気で降ったら客足に響くよ~
キャンプサイト整備の工事で相談に乗ってくれていた三好さんが、お子さん二人を連れて到着。
こけら落としでも協力してくれた従兄、清水焼ろくろ師の良太さん「これは止むで~」と言いつつ到着。さるうやオーナーの千葉君到着。宮大工則藤さんと、Peterさんも到着。おででこ京都事務所の大家の山田さん到着。そして嬉しいことに金沢から岡井さん到着。去年東京で参加したヤルマーのフォーラムシアターワークショップ。金沢での実施会場を提供していたのが岡井さんの劇団。金沢の後ヤルマーは芦見にやって来て、スペシャルワークを開いてくれた。
2016年夏ヤルマーさん in 芦見谷
今回のお客様はここ止まり・・・
寂しい状況なのは雨が原因か?
それとも9条か?
天気はと言うと、これがまたこけら落としのミラクルアゲイン!
13時の開演丁度にピタッと上がって日が差して来た!

出演者一同雑巾を持って野外ステージに向かい水溜りを拭いて、
15分遅れで開演!
くそ~!芦見谷の神様に試されてるな~「それでもやるのあんたたち?」
二本のリーディングはあっという間に終了。
母屋のデッキの下でそのままアフタートークに入る。
昌子さんが売り物として沢山用意した、おにぎりやカレーを振る舞う。もうフリーでどうぞ~
ビールで乾杯。車で来ている人にはフリービール。
アフタートークの様子を、私の曖昧な記憶だが自分のために書き残します。細かい所は違っていると思う。異論が有る方は訂正をお願いしたい。
最初は型通りのサンクススピーチの応酬で普通な感じでスタート。
Mさんが、テレビを見ながら、小学6年生の息子さんと、北朝鮮やっつけちゃえ!と、「9条・・・」の台本の中に出てくるような会話をするのだと話してくれる。だから二本のリーディングを聞きながら色んな事を考えたと。
C君からは、「何でみんなこれをやろうとしたんですか?」と質問。彼とは東京で「ブレヒト作品」で共演したことが有り、今回出演しないかと誘っているが、やはり9条に思案して、まるで選挙応援のポスターを入口にかけてるレストランみたいで嫌だと断られた。
彼の質問には、自身も演出で団体主宰者のAshが、「女性演出同士の私に興味が有るし、芦見谷がどうなっていくかに興味が有るから参加した。この政治的作品をどう演出するのか興味が有った。憲法を若い頃に研究していたから久しぶりにその若い頃に感じたことを台詞言いながら思い出した」と答える。
Aさんからも、「みなさん何故これをやってるんですか?やっている人は何を思っているのか?私は戦争が良いか悪いかは判断がつかない。武器を持たされて敵を目の前にして、まさに撃たなければいけない瞬間にならないと判断できない気がする・・・戦争に対する実感が無い・・・」
この質問には私が作品を選んだ者として答えた。「この作品をやることで、観客も出演者も考え始める切っ掛けにして欲しいと思っている。正直言って短い稽古の為に、本当ならば出演者同士が了解しているはずのコンセンサスが取り切れていないので、演者それぞれに委ねている」という言い方をした。
このAさんの意見を受けて、押し黙っていた観客の皆さんが話し始めた。
Yさんが、「戦争は絶対駄目だ。戦争を起こしては駄目だ」と明快に言い切った。
Oさんは、「私たちは国同士ではなく人同士であるべきだ。以前イスラエル人と共同創作をしたときに、友人から絶交だと言われたが、なぜそういう反応になるのか?そうやって国対国で一括りにせずに、個人である人と人が繋がる事が大事だろう」という主旨の発言が有った。
Rさんは「息子が丁度就職活動をしている22歳だが、戦争になったら行くのは俺らやんな~やっぱり嫌やな~と話すことがあるね」との発言。
それを受けて明日奈ちゃんが、「私同じ22歳だけどそんな風に考えたことなかった・・・」
Aさんは会社員だ。私より少し若い世代。野球をやっている男の子のお子さんが居ると聞いた。もしこの先近い将来日本が大手を振って戦争出来る国になり、もし徴兵制が敷かれたら、男の子は強制的に鉄砲を持たされる。70年前の戦争の時のように、普通の大学生が学校を強制的に辞めさせられて、南方や中国に送り込まれて殺し合いをさせられるような時代が再びやって来たら、敵を目の前にして撃たなければいけない瞬間に直面するのは、Aさんではなく息子さん世代だろう。Aさんも私たちも残念ながらラッキーなことに年齢的にはセーフ。セーフティゾーンの中。
ちなみに今国会で、日本を戦争出来る国に作り変えたいと法整備を急いでいる安部首相も自民党の閣僚も公明維新の議員もみ~んなセーフティゾーンの中。自分ではない誰かが鉄砲の前に立ち、殺し合いをしてくれることで、「経済を回せるようにしよう」というのが今の日本政府が目指すところ。戦争経済の為の法整備。その事がくっきり想像できたなら、そのことまで明確に連想できたなら、そのことについて考え始める切っ掛けになったなら、芦見谷まで来てくれた意味が有るように思うんです。
一番年長のNさんが、「戦争が終わった時は8歳で、広島の近くの福山に居たけど、グラマンに機銃掃射で撃たれたの覚えてるわ~。今はそんなことしたら問題やろうけど、戦争中は先生にぶっ叩かれて、今でも左の耳がよう聞こえへんねん。そやからな、戦争が終わった時嬉しかったな~民主主義ってええもんやな~と思ったな~」
普通の人が語る実感。こう言う体験を生で聞けたなら、ピースリーディング企画をする必要は無い。
だんだんと、体験した世代が亡くなって行くから、あえてこう言うことを考える場を作らないと、集団としての記憶を継承していけなくなる。演劇は、集団としての記憶を語り継ぐ装置として発達した部分を持つ。娯楽としてだけではなく。
今回はとても消耗した。父も母も疲れたと思う。癌の科学治療で体力を奪われている父はこのところ弱気な発言をするようになった。アフタートークで、何故そう言いう流れになったのか?「この場所を引き継がないかと親戚や身内の若い子に話してきたが、なかなか本気に成る人が居なかった。でも突然この人が(私を指し)芸術の森を創ろうと言い始めて、ここが未来に引き継がれる希望が出て来ました。僕たちはもうすぐいなくなる。ここは皆さんの場所です!」と泣いた。
最終日の朝、疲れ果てて7時前まで起き来ない両親。みんなお腹を空かせているので、今日の朝ごはんの材料を聞きに両親の寝床に向かうと、目を閉じたまま上向きで、布団から出した手を握り合っていた二人。
この芸術の森創りを前に進めて行きたいと思っています。
クラウドファンディングへの挑戦もどうぞ応援してください。1000円から応援してもらえます。訪れた人みんながアーティスト、作り手になれる森創り。どうぞ芦見谷のこれからの未来を一緒に作る仲間になって下さい。
他の演出さんの稽古場はよく知らない。私が役者として他団体に出る時は、とにかく難しいことを楽しみたいと思っている。役者のM性を発揮出来るから嬉々としてるだろうと思う。
私が演出の稽古場は、過去に強烈なプレゼントをくれた演出さんたちの真似をしています。節操なくても良いものは真似ます。これまで「師匠」と言える演出に4人出会っている。多い?少ない?誰かと比較は出来ないけど、その4人に出会った私はラッキーだ。私の稽古場ではそこここに、場面場面で、濃度を変えて、常にその4人の要素がミックスで立ち込めていると思う。
演出のYESマンばかりの稽古場は一見うまく行ってるように見えて、本当に面白い物は創造されない。
かと言って、物事を勝ち負けで判断する人たちは疲れる。意見を言うことと同じくらい、人の意見を聞いて、自分がミックスしていくことが大事。演出に勝ちたい思いが強て反発だけしてても不毛だ。
「仲良しでこの座組最高!みんな有難う~!」とFBやブログに書かないとマナー違反とか思ってるのはもう・・・私とは関わり合い無い。それって表現者ではなくてなんか別物でしょ?基本的にみんな人の目を気にし過ぎで、自分の本当の感情にアクセスできてないから型通りの当たり障りのないキラキラワード。一種の現代人病だと思う。
じゃあ、私はどういう稽古場を求めているか?
私自身の今のテーマは「本音で対話」しあう表現者たちです。
日本人は議論が下手です。フラットな立ち位置で人間関係を捉えられないから、相手にシンプルに自分の意見を言うことも、相手の話を聞くことも下手。これは国民的弱点。国家的な課題だと思う。
意見を言ったり、人の意見を聞いて自分の意見が変わる事を楽しむ知的な楽しみ。変化する自分を恐れずに楽しむ。知的好奇心とブレインストーミングをお互いに味わい楽しめるメンバーが、頭でっかちにならずに体で変化を感じ取って、前に進んでいくパフォーマー達との稽古。
さて、7月リオフェスに向けて稽古が進行しています。今回は長い稽古期間を取って、全員参加できる体制で少しずつ進めています。これも昨年の反省から。失敗はそのまま放置すると失敗だけど、そこから学べば良い。
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