Sugawa Mika のブログ

日々のこと、 生きたい世の中のこと、 演劇のこと

★2017年おででこ情報★http://odedeko.com/
★芦見谷芸術の森★http://odedeko-kyoto.blogo.jp/

京都の山プロジェクト

ここのところ歌舞伎WSに参加してました~。
テキストは「三人吉三~大川端庚申塚の場」と、
「寿曾我対面~工藤祐経館の場」
130926_130344私、お嬢吉三、「月は朧に白魚の・・・」の名台詞や、殺陣シーンにまで挑戦させて頂きました。
WS最終日には、両国シアターXの舞台で、長唄、鳴り物の先生達も登場して、贅沢にも生演奏つきの発表会です。大川端の背景画も釣られ、赤い振袖も着せていただき・・・この歳で赤い振袖なんて嬉しい~!のでポーズ!(^^;
130926_130353






このWSは、表現者のプロアマ、老若男女問わず、歌舞伎に興味のある方に、広く門戸が開かれていて、参加者は、将来は日本舞踊の家元という方、映像俳優たち、ミュージカル畑の舞台人や、普段は制作ですとか、十代のまだ演劇始めたばかりでという方などなど・・・。

私、日本舞踊は10年程やっていましが、女は歌舞伎はやれない物、と言う思い込みがあり、まさか自分が、歌舞伎のセリフを喋ることがあるなんて考えてなかったです。でもご指導いただいた、立花志十郎先生、初日のレクチャーで、「大歌舞伎では女性は出ませんけど、地方などで演じられる歌舞伎では女性も登場してますし、元々の歌舞伎の事始は、出雲阿国ですから・・・」の言葉に勇気を貰い、本当に貴重な良い体験させて頂きました。

先生のレクチャー面白かった。

「今の大歌舞伎は、一ヶ月間同じ演目を公演して、5日空けたら、翌月からは違う演目で又一ヶ月です。初日はセリフは入っていないことが良くありますが、それでも良いとされています。プロンプ(役者がセリフを忘れたときに袖からセリフを教える人)の声が客席まで聞こえます。初日、中日、千秋楽では、同じ芝居がどんどんこなれて行きますから、全く違った印象になることも有ります。それもオモシロミの一つです。殺陣も、主役は立ってるだけで、からみ(切られ役ですね)が、上手く立ち回ることで見せるのです。もし刀を取られたいなら、相手が取りやすいところに刀を差し出します。相手が間違ってしまったら、間違えさせた、からみが悪いのです。」

「凄いチームワークですね~」との私の言葉に、先生、「400年の歴史を持つチームワークです。」

確かに型もセリフも決まっている歌舞伎は、極端にそのチームワークが発揮されることで、稽古が全く無くても、いきなり本番に臨む事が出来るのでしょうが、でも、やはりと言うか、当然と言うか、どんな芝居でも一人では出来ないのです。

「セリフは相手役の為に覚えます。」「アナタが忘れると、相手役のリズムが崩れます。」

特に、五七五の名調子で書かれた、河竹黙阿弥のセリフは、掛け合いであれば有るほど、自分のセリフだけ覚えてやろうとしても、「こりゃァ不可能だァ~~~」


この点、歌舞伎であろうと、現代劇であろうと、同じです。

演技は相手役の為に。あなたを生かすも殺すも相手役次第。
と、人生訓にも思える言葉です。

お囃子、鳴り物、お三味線、長唄、拍子木も又いい音で入って、全てが良い間で運んだときは実に気持ちがいいもんです。
人がやっているのを見ていると良くわかるんだけど、自分がセリフを喋ってるときは、なかなかその一番良い間を取ることが難しいね~


そして、昨日は観劇を二本。
昼間は、東宝現代劇、菅野園子先輩の舞台へ。
皆様、ご自分の実人生もしっかりと生きてこられた、経験豊富な役者集団。演出とか演技とかの計算を超えた、なんとも言えない味が随所にあった。毎年よほどの事がない限り拝見してるけど、今回はキャスティングもとても良かったな~。菅野さんは、品のある奥様の役などもよくされているけど、昨日は迫力のある意地悪嫁役。つくづく素敵なコメディエンヌだな~と、笑わせていただいた。

夜は、前回「おででこ」に出演してくれた、小林香織ちゃんの朗読劇へ。
朗読であろうと普通の舞台であろうと、人の胸を打つ事は簡単ではないね~。声のプロと言われる方々は・・・上手いです。でも、胸を打つかどうかは、なんか本当に紙一重ですが、上手いかどうかとは又違うところにつぼが有るんでしょうね。ここが難しいところですね。
香織ちゃんの良い女っぷりは、なかなかに素敵でした。


実は、両親が暮らす京都の山が、この9月の台風18号で壊滅的な打撃を蒙ったらしい。
滋賀、京都、福井の三県に、なんか警報のその又上の奴が出てましたから。
私がかつて住んでいたのは嵐山の北にあたる、宇多野、御室、福王子、のあたりですけど、嵐山の渡月橋近隣が浸水したなんて・・・今まで聞いた事無かった。やはり地球温暖化は加速してるんでしょうか?

今回も、全く日本人だな~と思わせるニュースが有りました。同じ京都でも南のほうの、京田辺市あたりでは、「混乱を招くから」と、住民にその強力な警報が出てる事を知らせてなかったというから・・・

ホモサピエンスは学ばない生物。まだそんな事やってんだ~!いやもしかしたらもっと深く内向きに成ってるのかも?お役人にとっては、市民は愚民なんでしょうか。警報を正しく伝えると、混乱してパニックを起こす、愚かな民衆なのでしょうか?だからどんな被害が出るかに思いを馳せる事はせず、知らせない事が一番賢明だと、お役人は思ったんですね。

「昨今の、3.11後の、だだ漏れ放射能大国、日本で見えるもの。」
愚かなのは、民衆なのか?代議士先生はじめとする、公僕たちなのか?
どんな健康被害が出るかに思いを馳せる事はせず、知らせない事が一番賢明だとの論理が充満している。

と、そのことで私、本当に唸り声を立てたいほど怒ってはいますが、今日はちょっと置いておきまして、

先日、私の公演のときに会った、父と私の会話をご紹介。
最近父は私の公演で何かしらのお手伝いをしてくれる。
今回は道具を私の川越の家に運び込むために車を運転してくれた。

私 「京都の山にさ、野外劇場とかを作るのは、どう思う?」
父 「うんいいよ。面白いかもな?」
私 「今すぐじゃないけどさ、10年くらいかけて、いろんなステージが敷地内にいくつか有って、演劇芸術村みたいになったら面白いかと思ってさ」
父 「なるほどね~」

と、結構乗り気な父なのだ。
ただこの山、自家発電なのだ。ライフラインが無いのだ。で、先日の台風18号に、水力発電は破壊されたというから、本気で大自然の中にある、サバイバルな空間なのです。
だから、なにか表現活動をするにしても、エレクトロニクスに頼らない、いろいろ工夫は必要。

薪能方式か、昼間公演か・・・

でも昔の人たちはエレクトロニクスが無い時代から、演劇を見てきてるわけでさ、それこそ歌舞伎は400年の歴史があるし、ギリシャ人が円形劇場で見てたのは、BCからだからね。

何か知恵を絞れば、いい空間になるような予感で一杯なのだ。そう、我ながら面白い発案だと思っている。

ただ本気でやると成ると、私一人では難しい。多方面から好奇心旺盛で、スキルフルな人材と、知恵を集めないといけない。ビッグプロジェクトになる。
京都生まれだけど、京都で演劇をやったことの無い私は、京都の演劇界にも疎い。
だから、ここから、ちょっとマジで、そっちの方面に力をいれてみよう思っている。
京都の山に、野外ステージを作る計画。焦って作る必要は無いから、10年くらいかけてね。

面白そう~一緒にやってみたいという方がいたら、こそっと私に耳打ちして下さい。











 

2014年に入ったばかりだと思ったらもう一月も終わり。
本当に早い。
次々入る情報を処理しきれないまま日々に流されてるな・・・。

でも今年のスタートは良い感じだった。140101_090448
元旦は宇治の叔父宅で過ごし、叔母と叔父の正月スペシャル料理に心もお腹もいっぱいになり、母方のじいちゃんばあちゃんの墓参りにも数年ぶりに行けた。

その後の京都の山での数日は、父母としゃべりたおして飲みたおして、目一杯体中の毛穴を広げて、山の空気を吸い込んで、電磁波とケミカルと放射能源からも遠く離れた環境が、本当に人間の体に良いことを確信した。重なった疲労と、都市生活で身についた、目に見えない汚れが幾分洗い流されたみたい。
140103_134054
2009年の癌再発から5年目に入った父は、暮れの検査結果が陰性だったと喜んでる。治療中は禁酒してるが、「正月中は解禁じゃ~」と、毎晩飲む。
 

親類は、父方も母方もみんな酒好きだけど、私の酒に強い体質は母譲りかな?
でも母は酔ってカラムという悪癖を持つ。結構迷惑な酒なんだよね。彼女は私が一緒だと益々安心して気持ちよく酔うようで、時に、父への恨み言が飛び出し、絡み酒はエスカレートし面倒くさい。

父は、我が父ながら、prety crazy な男で、その、山あり、谷あり谷あり谷あり、山あり、谷あり谷あり・・・の人生に、家族は本当に大迷惑をこうむってきた。

昭和15年生まれ、その時代を生きてきた日本男子特有の、プライドの高さと、羞恥心と自尊心と、恵まれた階層への憧れと拒絶と嫉妬・・・自己矛盾は普通の人と同じくらいかかえてるシンプルになりきれない人間臭い人。普通に生きることをつまらないと思ってきた彼の、滑稽なエピソードの数々は沢山有りすぎ。

これが他人なら、「面白いね~!」「わ~ドラマみたい~!」で済ますことが出来るし、彼は基本的に、crazyだけど善人で、他者へのサービス精神が旺盛な人だから、実際、一瞬会うだけの私の友人にも、「面白いお父さんだね~」と大人気。声がでっかい、エネルギッシュで、おかしくて愉快な爺さんなんだろう。

でも、身内となると、ただ笑ってるわけにもいかない。父が巻き起こすトラブルに、突きつけられる厳しい現実。寝耳に水の、足元から生活基盤が揺らぐような、目の前が真っ暗になるような、ひっくり返る現実に翻弄され、悔しい思いも、悲しい思いも、惨めな思いもして来たのは、彼の人生というだけでなく、私自身の生い立ちでもあるから。

だから、父を責める母の言葉に嘘はないけど、私に言わせれば、
「何今更?」
「母にも責任のいったんはあるし・・・」
「夫婦である以上お互い様でしょ?」

だからどちらかの味方をするつもりはさらさらない。母のカラミ酒が、なおもエスカレートしそうになったら小屋の二階にあがって、持ってきた本を読む。
140105_200732
しかしさ・・・
客が来たときに限って、夫婦喧嘩を、家族喧嘩を始める人々。私、結構出会います。
あれはどういう心理からかな?夫婦二人きりだと、衝突したとき歯止めがかからず怖いから?
喧嘩後の修復も、二人だけだときっかけを掴めなくて大変。
でも、お互いに不満や要求はあるから、何かあればすぐにゴングが鳴る。

誰か第三者がいる前なら、安心してびゅ~~とその不満を噴出させても、着地点を見出せそうな気がするのかしら?独身の私は、幾多の夫婦が安心して喧嘩するための、ガス抜きするための、第三者としてしか関わらない。しかし、こちらにしてみれば、逆に強い絆を見せ付けられてるようで、愉快じゃないけどね。ガンマー波出しまくりの空間は気持ちも良くないし。身内でも私が行くたんびに喧嘩が始まったら、もう訪問するのをやめようかな?と思うしね。人は喧嘩も必要だと思うから、我慢して付き合ってあげてるんだよって事、
知ってて欲しいね~~。

これってなんていうのかな?なんかぴったりの言葉が有ったような?

鞘当て?
いい面の皮?
犬も食わない?

とにかく、夫婦の事は夫婦にしか分かりません。
両親と言えど、子供の私には本当のところは分かりません。
姉夫婦だって、姉妹と言えど本当のところは分かりません。

どうぞパートナーを持つ皆様、喧嘩しつつも仲良くね。
で、もうだめだと思ったら、一緒にいないほうが健康に良いです。
140103_144405
と、そういうことを書きたかったんではなく、ライフラインの無い山の中で、静けさと暗闇の中で過ごした贅沢について書きたいのだった。

両親が住む山小屋は、京都北山杉の産地のど真ん中にある。
NTTの電話線と、関西電力の電線と、京都水道局の水道管と、大阪ガスのガス管に繋がれていない。

全くラインが無い小屋。

これって、何とか弱者とか言うのかな?

必要なエネルギーは自分達で調達する。毎朝氷点下になる冬は、薪ストーブが欠かせないし、太陽光パネルと、ディーゼル発電機を持つ。実は水力発電も有ったけど、去年9月の台風18号で破壊され、高価な発電機は再起不能に陥った。

ドライヤーは電気を食うから、使うときには必ず発電機をつけてから使う。ガスはプロパン。小屋のそばを流れる川にはオオサンショウウオが住む。オオサン
ショウウオが住めるほど澄んだ水は、直接飲んでも問題が無いが、鹿やイノシシや鼬やウサギなどの野生動物の糞尿が混じってるだろうから、煮沸してから飲み食いに使う。放射能汚染さえされなければ、今後も煮沸程度で飲み続けられるだろう。自前の浄化槽を地中に埋め、生活排水は浄化して川に戻す。

140103_123219
風呂は薪で沸かす五右衛門風呂。水が冷たい真冬には沸かすのに二時間かかる。

超スローライフだ。

周囲何キロかに住む人は居ないが、山仕事の作業小屋はいくつもあるし、軽トラックが毎日入って来るし、両親と仲良しのお向かいの敷地のご夫婦は「菟麓」という、通いの料亭をやってる。春から秋の季節限定。完全予約。大自然の中で、本格的な京会席を堪能出来る。時々母が手伝ってるって言うから面白い。

北山杉で立派に暮らしを立ててきた山の住人の土地。
縁あって両親が住み始めて10年以上になる。
父はライフラインを引くために地主達と交渉してきた。
でも、どうしても「うん」といわない頑固な地主が一軒有った。

北山杉はブランド杉。

かつては高級な床柱になった。
人の手で植林されて、何十年もかけて人の手で枝打ちし、節の無い、まっすぐな美しい杉に育てられている。
そして何十年後、いい太さになった所で切り出し、商品になる。
その何十年かに一度の切り出し作業の時、

「電線なんか有ったら切り出せないだろ」

ってのが、その頑固な地主の主張。
父は地主が首を立てに振らないことに悔しがってたけどここに来て諦めたようだ。
無いなら無いで、自給自足でエネルギーを作り出すかと。
で、なおかつ少ないエネルギーでも、快適な山暮らしになる方法を見つける。
思考を少し転換し始めたようだし、その様子は悲壮ではなく楽しそう。
140105_200750


超スローライフを楽しみ始めた父は、人の話に耳を傾けることが少しうまくなってるようで、ちびっと自分の弱みも口に出来たりして、肩の力が抜けてて・・・

素敵なほうに変わってた。
 
本気で、超スローライフを楽しみ始めてる我が両親との会話は、楽しかった。






電気が無ければ生きていけない。
電気が無ければ繁栄はない。
電気が届くところにしか人間らしい豊かな暮らしは無い。
人は、ライフラインの届かないところには住めないし、この日本で自給自足は不可能で、もしそんな人がいたらそれは原始人かきちがい。

それって本当ですかね?

便利になるために、引かれたラインが、いつからか私たちの暮らしを縛ってる。
便利という価値観が、社会が本当に幸せになる方向を阻止してる。

母方の婆ちゃんや、父の妹だったおばちゃんや、病院で亡くなった身内たちの、終末医療を受けていたその姿が、最後に病院のベッドで、沢山の管に繋がれていた姿が、人の住む家が、町が、国が、末期医療患者のように、便利という名の管に繋がれて、ようやっと呼吸している姿としてダブる。

先進国(どの部分が先進?)に産まれた私たち日本人。
おぎゃ~と産まれて死ぬまで、実は沢山の管に繋がれて、生き永らえてる?

私たちは自由?

放射能汚染で、何十年も、いや、何百年も”人が住めない場所”を、この日本の中に作り出してしまったのに、「原発は再稼動する必要が絶対にある」と言い張る、悪人顔の政治家達と、欲の皮が突っ張った、キツイ顔つきの経済人。

彼らが先進国日本の、我々のリーダー。


管つきじゃない人の家。
パイプの無い末期医療。
紐付きじゃない売春婦。

自由だね。

去年の暮れから読み始めた、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃避行」
山でちょっと読み進んだ。
いわゆる娯楽書ではないから、どんどん読み進められないけど面白い。
ナチスが勢力を拡大していく頃に、書かれた論文。
何故人々は、自ら進んで自由を手放すのか?
何故自分を縛るものたちに、自分の魂を売り渡すのか?
この題名、自由への逃避行ではなく、自由からの逃避行。
この人ドイツ人。

去年見た映画「ハンナ・アーレント」
第二次大戦中に、ユダヤ人の彼女はドイツからアメリカに亡命し、
戦後のナチス戦犯裁判、アイヒマン裁判を傍聴し、その報告は同胞ユダヤ人たちから酷評された。
「なぜユダヤ人たちは、羊のようにおとなしく、大量殺戮収容所に引かれていったのか?」
この問いに、当時多くのユダヤ人協力者が居たことを指摘した彼女。
日々の自身の安全と引き換えに、多くの同胞を売ったユダヤ人の存在。
真実を語ろうとした彼女の態度は、加害者として自身を省みることが出来ない多くのイスラエル人達には、裏切り者呼ばわりされる。

これって日本のリーダーに居る。自身を省みることが出来ない人々。

明確に脱原発に舵を切った、今世界でもっとも尊敬される国ドイツ。

ドイツと同じ敗戦国日本は、世界からの信用をどんどん失ってる。

もう、私も人生半分過ぎたし、今更目先の利益のために、損得で動くことは時間の無駄だと心底思う。自分が嫌いだな~と思えることに、目先の利益のために同意するような、つまんない生き方はやめようと思う。世間で常識といわれてる事に、そうかな?と思いつつも「それ本当?」って言うことを恐れる生き方はやめよう。

で、私の思考と行動が変われば、善人顔の、気持ちの良い人たちに、もっと出会える気がする。世界中の本物たちに、もっと沢山出会えるような気がしてる。




63c3097a.jpg途中高速大渋滞で、2時間遅れで到着。

京都は相変わらず無風で、じっとり暑さが絡み付く。

一週間ほど、ネットが繋がらない山に篭りま~す。


台風11号の後から、京都市右京区京北地区は大雨の1週間でした。
一帯は床上浸水も出て、土嚢を積む作業中に流されて亡くなった方も出ました。
ご冥福をお祈りします。

003
140813_110633

両親の山小屋には直接被害はありませんでしたが、小屋へ繋がる唯一の道に沿って流れる川が大増水。激流に乗って運ばれるこんな根っこや岩で道がどんどん削られて、車は通行不可な幅に。


通行止め箇所の小屋側には軽トラを、街側には親戚から借りた軽自動車を置いて、道が削られた箇所は、徒歩と一輪車で人と物資を行き来させる作戦。
13日の朝、到着した私を待っていたのはそんな状況。一体ここは何処?アジアの山奥?アマゾンの密林?アフリカのどこかの国か?・・・



コープの配達の車も谷の入り口でストップ。食材を一輪車に乗せ変える父。

012
10日におででこ公演千秋楽のあと、片付けをとりあえず済ませ、12日夜高速バスで出発。
とにかくも公演の疲れを癒すのが最大の目的。待ちに待っていた帰省。

携帯電話もネットも無し、完全に情報遮断された小屋。緊急時の衛星電話は有るけど通話料が高いのでめったにオープンしない(爆)

小屋にはソーラーとディーゼルの自家発電。最小限の電化製品は、冷蔵庫と照明と衛星TV、他・・・。電磁波が極端に少ないのは確かで、おまけに小屋の横を流れる清流からは、24時間365日マイナスイオンを自動発生してくれる。

013
一日中川の音を聞きつつ、朝からビールを飲みつつ、ごろごろ昼寝する様を妄想しつつ、「この旅が待っているから頑張れ~!」と、自分を励まし、酷暑の稽古を耐えて来た。

これは本当。
しかし、今年はちょっと様子が違った。

大雨もそうだけど、14日の朝には姉と、姉の娘のお友達4人家族が二組到着。

021022
002032025
027















15日朝にはおででこ仲間、山谷さん、塚本さん、山下君、麦さん到着。

004
048006普段は両親と、虫と、野生動物しか居ない静寂の山小屋は、15日の夜は17人もの大所帯に。

雨はますます激しく、子供たちは雨にうんざりしつつも釣りしたり、バーベキューしたり、キャンプファイヤーしたり、花火したり、喧嘩したり泣いたり叫んだり・・・



オオサンショウウオを発見したり。






002大人たちも
食って
飲んで
酔って
火をおこして・・・017
















006この春父が手作りしたかまどが大活躍!



010

母のレシピ。山で取れた山椒入りのパウンドケーキ。




011





薪の火加減もどうに入ってきた。







015


パウンド美味!














16日は京都、五山の送り火。

013わざわざ東京から来たお客人に、ちっとは京都らしい風情を感じて欲しい。

大雨の中市内に向かうと、市中はほとんど雨が上がっている・・・

恐るべし山の天候。

車で一時間もしない距離でこの違い。
無事に山焼きを鑑賞。

そして皆が帰ったその後、やっと晴天が覗いた。なんだか変なお天気。

オオサンショウウオの祟りか?
009
山の天候は変わりやすい。
大慌てで大量の洗濯物と、布団を干す。






静けさの戻った山。008





親子三人で七輪で焼いたシシャモの朝飯 。002








父、母、お疲れ様でした!
015

京都京北芦見谷。この時期は雪に閉じ込められる山小屋。
芦見谷冬芦見谷プロジェクト

今日は節分。
節を分ける日。

 「鬼は外、福は内」

誰でもが思う素朴な願いは、「去年は悪いことが続いたから、この日を期に悪運を絶って運気上昇~!」ですね。

私も節を分けよう。
悪運かどうかは微妙だけど、不必要な騒音と元気を奪う瑣末な事象はさっぱりと切り分けて、今年の企画に本格的に取り組み始める時期かな。

おででこと私の今年のスケジュールをざっくりと。↓

・2月、 三年連続参加中の、マルクスさんと天沼さんのオペラワークショップ。
・3月、 7日8日にこの発表公演が両国シアターXで上演。
・4月、 現在開催中の「おででこ6ヶ月ワークショップ」フィナーレ。
・5月、 26-31日、おででこ第七回公演、本番。
・8月、 京都京北芦見谷プロジェクト始動。

おお・・・鼻血出そう・・・
羅列するって怖いな。
こ、このスケジュールかい~?!と、
思いっきりお尻を叩かれて、胃の腑がぎゅ~っと縮む感じは・・・脳に血液が回り始める合図と捉えます。

さて!と気張ってもしょうがないので、やることは地味にこつこつと、目の前のことを一つ一つ片付け始めます。


ここ最近の観劇から思うこと。


感情の宿らない肉体には魅力がない。
肉体の伴わない表現は声のボリュームや話し方だけで処理しようとする。小さくまとまっては見えるし、破綻はしないが、挑戦的じゃないしダイナミックじゃないし深みがないし保身的で、実は結局リアルじゃない。逆説的だけど、リアルを追求しようとしてリアルから遠ざかる。

身体を固める表現者が日本人に多いのは、(かつては私もそうだったが)
ある年代の演劇指導者たちが、

「日本人はそんなに動かないよ」
とか、
「日本人はもっと無表情だよ」
とか、
「翻訳劇をやるからといって外人にならなくていいんだよ」
とか言ったからだろうか・・・

その言葉の全てを否定はしないけど、身体を固めると感情は固まります。固まった感情からは、しなやかなアイデアも表現も生まれません。

じゃあどうするか?
やり方を探しましょう。
これをやったらOKとか、三ヶ月で完全マスターなんて言う演劇養成所は嘘っぱちだと思う。
リアルっぽい表現をお手軽に再現する”方法”は売ってません。
そんなもんないし。

全身をくまなく使う表現と、人間の肉体の可能性の追求と、自分自身の内から湧き上がる、本当の欲求を見つめて掴んで表出させるためには訓練が必要です。繰り返して地道にやり続けてやっと身につく訓練と、個人の感性と想像力の豊かさ。

ええっと、寺山演劇でよく見るあのアングラっぽい身体表現が良いと言ってるわけじゃないです。否定もしてないけど、有効なときはあるの知ってるし、ただあれだって人形作って魂入れずになってる表現者は居るから。

時々声優さんの舞台を拝見するときに思う、”その場に立てて無さ”。
痛々しくて可哀相で見ていられない気持に成るときがあるのです。
商品化されたよそ行きの良い声で、滑舌が超良い。
でも、”その場に立てて無い”。

追求したいのはTVで消耗される表現では無く、舞台空間での表現。
同じ空間にいる目の前の観客と真剣に渡り合う表現。

演劇はスポーツに負けているか?
負けてる演劇も沢山有る。
どこに飛ぶか分からないテニスのラリーに息を飲む私たち。
どこに飛ぶか分からない(はずであるべき)会話のラリーに観客が息を飲んでいるだろうか?うんざりしていないだろうか?

肉体と呼吸が使えない役者は勝負の前に負けているといつも思う。

呼吸
大事なのはやっぱり
呼吸

こんなもんだとストップしないこと。変態していくことを止めないこと。
型にはまっただけの物は生き生きしない。
肝心要は人形作って魂入れる作業。
生き生きしてないものは魅力が無い。
魅力がないものは見てて嬉しくない。

直視し無くちゃいけないのは、私自身の中でもある。
無難なところに押し込む癖はなかなかしつこくて、
あ~私も日本人。刷り込まれてるからな・・・
いつの間にか作られた型、wayに押し込むことで得る安心なんか何の足しになる。
臆病者め!怖がらないで、実験実験、人生実験。


先日ある女性演出家と二人飲み。
酒好きで才女の彼女。
そのアイデアと生き方にガッツリ刺激を貰う。
良い時間だった~

お互いの団体の交流とか、
未来に繋がる可能性を沢山感じた数時間。
話は盛り上がって盛り上がって、夕方の5時から飲み始めて終電で帰ってきたけど、未だ話したり無いよ。嬉しいけど恐ろしいのは、年間スケジュールがさらに過密になる可能性まで飛び出して・・・

私の身体もつかしら?
まあ良いか~人間死ぬときは死ぬから。

丈夫に産んでくれた両親に感謝して、丁寧に大胆に参りますか~。




色んなことがあった一ヶ月。
強烈な出来事があった。
未来に繋がる素敵な出会いも有った。
先週末の二回の本番から1週間がたち、疲労が抜けてきて脳が回転し始めてきた。今後のために振り返っておきたい。

今回の創造の旅の道連れ~。3/8(日)二回目の公演後ロビーで。
007

今回の収穫の一つは、5人の声楽家たちと共演したこと。
男性カルテットは物語の中では私の家族でした。
写真の中でがっちり肩を組んでるテノールの荒木俊雅さんは弟役で、その右の黒い豊満なお兄様、バスの片山将司さんはママ役。私の左どなり、体が引き気味ですが、爽やかなバリトン高橋洋介さんはパパ役で、その左の現役音大生のテノール杉江恭輔君は顔がちっちゃ~いもう一人の弟役。

右斜め前のソプラノ西友加さん・・・彼女には沢~山有り難いアドバイスを頂いたのに生かせなかった申し訳なさが込み上げます。

皆さん歌に人生をかけている方々で、今更ながら、共演した事自体がファンタスティックでアメージングな体験ですが、本物たちの本物の心遣いが素晴らしいのは、歌ど素人の私への苛立ちは有ったに決まってるんですがそぶりも見せず、逆に励ましと暖かい眼差しと実際的なアドバイスと・・・みなさんの大人の気遣いが有り難いやら申し訳ないやらで一生忘れられません。001

←片山ママの良い声に引き寄せられて。

ピアニスト松本隆彦さんの指導も献身的だった。WSが始まったすぐのころは、ピアニストなのにピアノを叩くより、手拍子を叩いてた。つまり音符の読めない歌の素人たちを前に粘り強~く手取り足取りの指導。私もICレコーダーに録った松本さんの手拍子を何度も何度も聞いた。

しかし、あまりのレベルの低さに松本さんも相当困ったんでしょうね、歌手の方に助けを求めた声が録音で残ってます。「ん~西さんどう言えば良いでしょう」

他にも「歌って~」ではなく「聞いて~」 「そこ歌えてる」でなく「そこ響いてる」には、ハッとさせられて本当に面白いと思った。
俳優が大切にするべきは「自分がやる」ことよりも「相手を聞く」こと。
音楽家もだと。いやさらにもっと「空間を丸ごと聞いている」人たち。
だから天沼裕子先生の言葉「濁った空間では仕事が出来ません!」

作詞:ベルトルト・ブレヒト、音楽:クルト・ヴァイル、
演出:マルクス・コップフ、音楽監督:天沼裕子。
「七つの大罪」と向き合った一ヶ月間は、現代日本に生きる私達が、長年植えつけられてきた幸せの形との、典型的な成功の形との、正しいと信じ込まされてきた価値観との向き合いだったと思っている。
002
国から学校から社会から親から、おまえの幸せの為だからと刷り込まれてきたあらゆることへの向き合い。「勝て~!」の号令で全力疾走、回りを蹴飛ばし続けてきた人生への向き合い。
正しい日本人になれなかったら落ちこぼれる~とおびえ恐れ続けた心への向き合い。
競争することが楽しかったのか?結果勝ったか負けたかは関係なく、そうさせられてきた自分の心が本当に喜んでいたかどうかへの向き合い。

だったのだ私には。

稽古中に時々マルクスが、「ミカは怒ってるのか?」と通訳の方に心配して聞いていた。いえいえいえ怒ったり不貞腐れたりする余裕すらありませんでしたよ。真剣に考え続けていたんです。

001マルクスの演出はシンプルだが、パワーと自分への戦いを要求する。自分の心の奥底へ、逃げずに向き合う正直さは恐いだろう。そのことで引きずり出されるてくる深層を使う演技には勇気が要る。でもその奥底と繋がった表現は、上っ面の取り繕いと嘘だらけの可愛い子ぶりっ子表現なんか弾き飛ばす爆発力を持つ。

だから疲れた~!

今回のマルクス語録。
「演劇には、劇場には国境がないということ。創造活動において共通言語があるという事。毎年日本からドイツに帰って感じていたのは、素晴らしい創造体験は、国籍や人種や肌の色や宗教なんかと関係なく体験できるということ。」
「演劇創造は魂と感情を使って行う仕事だから常に葛藤が生まれるがそんなことは当たり前だしカンパニーとして内部で解決すべきことだが、最も酷いものは人種差別だ。私はそれに対抗するために、ここで仕事をしているんだ。」
004

私が演劇をやっているのはなぜかを自分に問う。

演劇を愛している。
演劇には力があると信じている。
演劇は社会や人の心を勇気付けることも出来ると。
演劇と共にいる人生を選んで来た。

若い頃の私は演劇を利己のために利用していた。
今は、演劇を利他のために利用したいと思っている。
そう思うようになってから不思議と、返って良いパワーがどんどん自分の中に溜まって来ているのを感じる。

マルクスでなくても知っている、創造現場には次元の高い低いに関わらず葛藤が生まれるし、様々な出自のメンバーが集まって作るプロデュース公演ならなお更当然出てくる人間臭い有象無象。自分の役が・・・自分はこうしたかった・・・今度は主役だ脇役だ・・・
私も不完全な人間で煩悩の塊だし、自分が一番可愛い凡人だけど、私が演劇をやりつづけている理由の中で、「自分が~」は既にランクがずいぶん下がっているな。うん。

で、面白いけど、そうなってから必要とされるように成って来てないかな?
創造現場で、難しい仕事を任せられるようになって来てないか?
本当に不思議だけどそういうもんなんだ。

作品のために自我を捨てる用意が出来てる人。
作品と自分の担った役割に没入出来る潔さと技術を持った人。
板の上で生きるという意味を正確に理解して相手役のために生きる人。
完璧でなくてもそこを目指して必死にもがいている人。
利己への執着から逃れてやっと手に出来る”強い心”と”澄んだ魂”。

共演者の美しさに胸を打たれるのは、そんな心と魂に触れたとき。


過去と向き合おうとしない権力者が国のど真ん中に座る現代日本。
過去の自分たちが犯した罪を「人類への罪」として向き合い続けるドイツ。

そんなドイツから来た演出家に投げつけられた言葉。

自分を振り返る。
私はタイミングを逃さず「激怒」できた?

無知ゆえの愚かさ。
無知が引き起こす行為は時に暴力的に人を傷つける。
知らなかったで済まされるのか?
未成年者で無い限り自分の言葉と行いには自分が責任を持たねば。投げつけた言葉はブーメランのように自分にはね返ってくることを自覚せねば。

でも、無知な個人への糾弾で何かが解決するとは思わない。
日本に生きる一日本人の私も、無知で弱くて小さな個人が、自身の頭脳を使って思考するよりも、権威やマスコミが垂れ流す情報にすがりつきたくなる誘惑に勝てないことを知っている。

その情報にはコミュニティーの繋がりを破壊し、個々を分断させ、孤立させる”作為”をも含まれていること。ブレヒトの三文オペラにある歌は言い得て妙だ。
「頭にはしらみをわかすのが関の山~♪人の頭はずるさが足りないから嘘やいかさま見抜けやしね~♪」
見抜けない個人は孤独と不安に陥り、人間の反応として当然出てくるのは怒りと対立で、その結果社会は益々病んで、人々を更なる憎悪と分断へと駆り立てている。

分断は巧妙で多面的だ。
歴史からも分断されているこの国の多くの人々は、だから平気でヘイトスピーチに走る。人種差別的な言葉に直面しても差別だと気がつかない。そこがまったく困ったところ。挙句気がつかない自分を正当化する恐ろしさ。どこまでもおめでたく培養された美しい国の鈍感な人々。

私が演劇をやるのは?
そんな全ての分断への対抗なのかな。
対抗への道は、個人への糾弾では無い方法の探求。

で、ここに繋がってくる。
今年から始める「おででこ京都の山プロジェクト」
これは私にとっては、「演劇以上であり、演劇以前でもある挑戦」だけど、

とりあえずの目標は五年後。
2020年夏、電気を使わない演劇祭。

・・・書いちゃったよ~

実現までの道は険しいし、困難だと思うし、危険を伴うのは承知のうえです。
でも、色んな人に話をしてきたこの一年、このプロジェクトに賛同してくれる人がどんどん増えているのは事実だし、背中を押してもらって踏み出す勇気が出てきた。素敵なのはね~、みんな話を聞きながら目がキラキラしてくることなんです。子供の頃、未だ都会にも里山が身近だった頃、山に基地を作ったりしたでしょ?私の子供の頃はまだそんな事が許された時代だった。あのときのあのワクワク感と興奮と、手づくりをしながら土にまみれて遊んだ楽しさを思い出してくれているみたいだ。そして、きっとみんな肌感覚で分かってくれているんだと思う。このプロジェクトが、私たちを分断させようとする、大きな何か醜悪なものへの対抗に繋がるという予感。(今までの経緯と今後の進捗はカテゴリ「京都の山プロジェクト」へ)

311以降私の価値観は変わってきた。
2011年311を挟んで、善光寺と東京での「読む小泉八雲」がおででこ第一歩。
今年はおででこ活動5年目に突入。
次の節目の10年に向かっての一大プロジェクト。

人の幸せはエレクトリック崇拝と物質崇拝の中には無い。

我が演劇の師、伊藤正次氏の人生訓。
人を追いかけるのが上、仕事を追いかけるのが中、金を追いかけるのが下

綺麗ごとは言えないから、現代日本に生きてる以上、金を追いかけなくちゃ成んない局面だらけですけど、金を度外視して人を追いかける局面を持つことが出来たら・・・、そんな局面のある人生を自分に許すことが出来たら上出来な人生じゃないだろうか。

観客から罵詈雑言を投げつけられようが、サウンドバックにされようが、「ミカは要らないよ~」とマルクスさんと天沼さんから言われない限り、又私はお二人を追っかけて創造現場に飛び込むんだろう。

人は人によって傷つけられるけど、
人によって慰められ、力を与えられ、勇気を貰い、
自分が得たものを今度は誰かに渡したくなる。

その心の状態が幸せでなくて一体何が幸せだというのかしら。







公演終了後、ずっとブログ放置でした。

ブログに何かを改めて書くというのは構えた姿勢になりますので、億劫にも成りますが、時間が経つのはあっという間で
人を取り巻く環境も刻一刻と変化します。

書こうと思っていたことが色あせてしまい、
自分が何を一番大切にしているのか、
もやもやして明瞭でないことも多く
思考しているうちに
新たなテーマが出てきたりします。

おででこは今年5年目。
たかが5年されど5年。
おぎゃ~と生まれた子供が5歳になった事を思うと、
おしゃべりは上手になるし、自分の好き嫌いもはっきりし始める。
人間として5年くらいこの世で生きていると、本人のアイデンティティーが働き始めて、自らの歴史らしきものが積み重なりはじめるのかも知れません。

ところで犬の精神年齢は5歳児とほぼ同じらしい。
犬は大人になってもいつまでも5歳だなんて。
だから、あんなにも全身で喜びを表すのかしら?愛情の表現にも手抜きが無いのかしら?
いつまでも遊びたい盛りの5歳のままで、寂しさも愛もビシビシ感じ過ぎる鋭敏な5歳のままで、肉体だけ年老いていく犬・・・

この5年でおででこを介した繋がりも千変万化。
濃くなったり、薄くなったり、切れたり、復活したり、5年とはそういう時間の流れなのでしょう。

私自身の事を言えば、
一俳優という肩書きから、主宰、制作、演出という肩書きの比重が年々大きくなった5年。
確実に出会いの層が変わって面白い。

反面、オヤオヤなこともある。
それは私が女だから出会うんですが、男社会で生きていく訓練を、上司は男だと想定した、縦社会従属の訓練を、子供の頃から正しく積んできた、ある種の男たちにとっては、どう接していいのか分からないというね。きっと本人も気付かないほど反射的に、拒否る空気が出ることが有ります。

こう言うタイプ、今の20代男子には少ないかも知れませんが、30代以上の男子には居ます。40代はもう一杯居ますよ。まあね過渡期なのかしらね?

男女共同参画と言ったって、根底は古い男尊女卑の亡霊が支配する国。
日本男子をそんな亡霊から開放させてあげたいな~。
そうです。開放されるべきは女ではなく男です。

まあ女も解放されるべきですけどね。
馬鹿な振りしてないとモテナイなんて幻想とかからね。
男も女も賢い方が良いに決まってるんです。
いざと言うとき役に立つのは賢い人だから。
賢くないと役に立たないから。
賢い人と話してる方が絶対楽しいし。


7月、イラン・レイシェルのワークショップを受けてきた。
初めてのアレキサンダー・テクニーク体験はvery goodでした。

イランの指導がまた素晴らしかった~
彼が身体の使い方のなかで、「let go=手放す」 ってことを言ってたんだけど、この手放すって言葉の深さに痺れてます。アナと雪の女王はlet it go!でしたっけ?

私たちが「しがみついてる物」って実は一杯ある。
粘着質でない人のほうが圧倒的に少ないんです。
肉体の使い方、思考の仕方、全て私たちは習慣の虜です。
しがみついてる物を手放して、適切にエネルギーを使ってやれば、
私たちはもっと能力を発揮する。

手放す=解放する でもあります。

アレキサンダー・テクニークは、ようやく日本でも馴染み深くなってきてますが、スタニスラフスキー・システムとかメソッドとかの方がまだ馴染み深いカタカナですよね。

私は受けながら「なるほど~なるほど~」って一杯思っちゃったね。
ヨーロッパの演出家の根底には、この知恵が有るんだと。
なるほど~、あの演出家の言ってたのはこう言う根本原理からだったのかと。ばらばらのパーツがパチパチはまって行く様な感動。

いやはや、しかし何故今まで受けなかったのだろう?

もう少し早く出会っても良かったけど・・・
いや私にとってはベストなタイミングでの出会いです。
物事には全てベストのタイミングがある。
今後の人生にとって、今の私の心と身体にとって、アレキサンダー・テクニークがもたらしてくれる効能は計り知れないと思う。

let go=手放す=解放する

早速入門編の本を手に入れ、地味に自分の肉体で実験開始しています。
しかし、出会ってまだ一ヶ月ですが、あれほど慢性化していた腰痛が、当たり前だった右肩の痛みと右足の坐骨神経が、背骨と骨盤の関係と、立ち方と歩き方が、めきめきめきと変化しはじめてる。らしいこの感触。

今まで、自分を使用する上での最大の過ちは、too much やりすぎだったって事だ。もっと抜いて良いし、自分の身体の造りを信じて良い。人間の身体はよく出来ている。実に無理なく二足歩行に進化してきている。自然?神?宇宙?が作り出してくれた背骨の湾曲。

自分人体実験が楽しみです。自分を適切に使用する実験。


★来週、京都の山企画が本格的に始まります。
私は今週末から山に入って、皆を迎える準備です。

山の企画の進捗を、おででこ京都芦見谷のblog でアップして行きます。 
今はまだ最初の記事を下書き中です。山に行く前にはアップします。しばしお待ち下さい。

★9月10月はおででこワークショップを週一回(毎週日曜日)開催します。
ただ今参加者募集中です。詳細はおででこHPへ

★そして11月、急な展開ですが、公演を行うことになりました。
この詳細は近日ご報告します。

全ての準備を、こつこつと。
一人でもんもんと思考してるときは孤独です。

団体の主宰とか、演出家は、みなさんやっぱり孤独に向かい合ってるんだろうと思います。責任を全て負ってる感じは、首元をぎゅ~とされてる圧迫感が有ったりしてさ、それはそれはストレスフルなんだけど、でももの凄く自由だったりと相反する感じがね、又苦しかったりね。
はっきりしてるのは、誰かが何かをしてくれるわけじゃない。そんな甘い期待はlet go!

実際に事が動き始めると楽になるから今は辛抱辛抱と言い聞かせてます。
人が集まってきたらいろんなことが回転し始める。
回転速度がついた物を、前に転がすのはそんなにしんどくない。
何がしんどいって、最初の一回転目を起こすのが重労働。
そこまで行けるかどうか?
それはもう誰のせいでも無い訳です。


あ~あ、早くお山のむせ返る緑にまみれて、「母を訪ねて三千里」のテーマソングか、「フランダースの犬」を、関節を思い切り手放して熱唱したいよ~!

アナと雪の女王じゃあないんですね

私今日から一足お先に山に入ります。

オフライン環境のためPC、FB ブログも放置に成ります。
携帯も二日に一度の確認になります。

25日頃下山予定です。

今年の状況の報告を楽しみにして下さい。 

行ってきます。 

↑このページのトップヘ