今日は久しぶりの休日。

昼は中野の芸能小劇場で、知人の女優、塚本千代さんの朗読を拝見。
全部で6本の小品を、6人の朗読者が読むと言うプログラム。
一年に一回の公演で今回は記念の10回目と言うことなので、それぞれの朗読者は、自身の受け持つ作品を読み込み、研究しつくして挑んでいるのだろうと思うのだが、胸を打つ作品と、何か物足りなく思える作品があるのは何だろう?

自分の感じたことを言葉にしてみることは大事な事だ。自身も演者であり、演出もする者としては、”好きか嫌いか”だけで片付けたくはない。自分がその時感じたこと、見て拾ったと思ったことを、具体的に、より具体的に言葉にしてみる・・・ ”自分の思いを伝える言葉を鍛える事”
は、特に演出をする場合に役に立つ。

マイナスに受け取られかねないことは・・・ここには書きたくない。知人の舞台を見た後、率直に感じたことは、今までも直接本人には言って来た。お互い信頼している役者同士なら、ちょっと耳の痛いことでも、人間関係は壊れない。
信頼に確信が持てないときは、自分の中の引き出しに仕舞う。

千代さん、まず声が良い。しっとりと響きがあって、心地よい音程と、飽きさせない切り替えし。聞きやすい早さを丁寧にキープ出来る確かな技術。彼女が読んだ作品は、小川洋子さんの「風薫るウィーンの旅六日間」
私は初めて知る作品だったけど、思わず笑えたり、ホロッと来たり、登場人物が生き生きとしている。千代さんが、ずっと読みたかったと言っていたことに納得。だからなのだろう、彼女が作品を、大切に読み込んでいる事が伝わってきて、多分その事が一番素敵な事で、成功していた要因じゃないかと思う。良い時間と空間だった。

この作品では清水さんが舞台監督をしていた。清水さんは、元はシアターXの座付きだった凄腕のスタッフさん。何が凄腕って、舞台監督も、照明も、音響も、小道具制作もやる。そしてそのクオリティが高い。立ち話だったけど、次回私が演出する作品でお願いするかもしれないと話す。このタイミングの再会・・・いいね~

夜は、佐藤君と瑞穂ちゃんが出ている芝居に足を運ぶ。王子小劇場。この作家の作品を見るのは3回目。
佐藤君は、伊藤正次演劇研究所の同期。もう15年位の付き合いになる。
瑞穂ちゃんは、以前「父帰る」で私の娘役(お種)をやった。唇も、ほっぺたも、目もまんまるな、風貌はエキゾチックだけど、四国の山奥出身の、古風な日本の心も理解できる若い女優。この舞台の感想は終演後二人に直接言った。

みんな懸命に作品を作る。当然だけど。
でも、上手く行っている作品と、残念な作品がある。上手く行っていたのに、今日は何だかな?と言う日もある。その違いは何かしらん?と繰り返し自分に問うて来た。

劇場と言う空間と、その空間に見合った作品と、その空間と作品に見合った演技のボリュームと、音響と照明と、それを見つめる観客と・・・舞台空間は本当に繊細だ。ちょっとした事で変形したり壊れたり。
だから大事な事はいつも”ちょっとした事”なんだな。

「自分の出ないシーンだからって、関係なくないよ」「楽屋での振る舞いは舞台に出るよ」「自分の出番が終っても、舞台で演じている人が居る事を忘れちゃ駄目だよ」
私が演劇一年生だった時、回りにはその事の大切さを教えて、叱ってくれる素敵な大人が沢山居た。さて私は?そんな素敵な大人に成れてるかしら?・・私はかなりはっきりと物を言う。自他共に認めるところ。でも・・・十分じゃない。

上手な演技や、技巧的で上手い脚本や、おしゃれな演出には勿論感心する。けど、観客の胸を打つのは、もうちょっと上等な何か?丁寧に重なった、ちょっとした事なんじゃないのかな?

私の演劇の師匠、伊藤正次氏は、「赤ん坊を抱くように」と言う言葉をよく使った。舞台空間の繊細さをよく知っている人の言葉。「幕の処理は赤ん坊を抱くように優しく」「転換の最中のセットの移動は・・・」「小道具の処理は・・・」
「心遣い」という言葉もよく使った。

いや~前回9月の舞台でさ、私は最終幕を前にメイク換え、衣装換えをしていると、既に出番の終った、若い女優達の内何人かが、差し入れの肉まんを頬張りながら、キャピキャピと自分達の出番の反省会をやり始めた。
う~~ん、これは参った。肉まんの美味なる強烈な匂いは、私を現実に引きずり戻す・・・コメディー作品だったら、もしかしたら何も言わなかったかも知れない。けど、私これから3ヶ月牢屋の中に居る状況に入って、夫が自ら絞首刑になる道を選ぶのを見届けるんだよね。さすがに我慢してる私が変だと思った。だから「あんた達は優しく無いね」と一言。さて、その言葉が言われた方にどう浸透したかは・・・神のみぞ知る。

自分のグループを持たない私は、色んな団体に客演で参加する。そう、お呼びがかかって初めて、演技する場を持てるのだ。それぞれのグループが大切にしているものと、私自身が大切にしているものが、完全に一致する事は無いし、それで良い。自分には無い物に出会って+そこで自分らしさを加味して=何が出来るのか?
だから私は自分の意見をはっきり言う。自分の考え方、感じ方を言葉にする。

ここでやっぱり信頼関係。信頼されている空間では、自分が言った言葉が素直に染み込んで、稽古場が、舞台が良い相乗効果を生み出すのが分る。でもそうではない時が大問題。そんな時は・・・もう大嵐だね。自分が出演している以上、何も言わず、あれ??と思った事を、自分の引き出しに仕舞うなんて事は出来ない私。だってそれはさ、自分が動員したお客様や、作品に対する責任放棄でしょ?

きちんと伝えられる本当の大人になるって難しい。