今回のワークは4日間連続で実施しました。
初参加の方が4名。リピーター6名。

欲を言えばそれはもちろんきりが有りませんが、みなさん「協力」し合って良いワークになったと思います。自分がやる事ばかりに一生懸命に成ってる間はまだ入り口です。人がやっていることから、人の苦労から何かを掴めるようになり始めると稽古場には本当のモノづくりの良い空気が満ち始めます。
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「芝居は見る側の気合で作り上げる部分が有る」と言っていたのは、数年前 ”楽屋” で共演した劇団朋友の今本洋子さんでした。この言葉は折に触れて思い出します。


ワーク終了後は感想を書いてもらうことにしています。
皆さんの満足度がどの程度なのか知りたいし、年間何回か実施しているおででこワークですから、要望や意見は貪欲に取り入れて次回に生かしたいからです。

皆さんの理解が深いと私も本当に嬉しいです。
私も以前そこに躓いて苦しんでいたな~と思う感想にも出会います。
その痛みが分かります。
「みんな道の途中だよ」
「わたしもそうだったよ」
「でも今はそこはクリアーして違う種類の難しさに向き合ってるよ」
と、心から励ましたくなります。


わたしは演出でもありますが、やはり長く自分自身が俳優として修行してきた経験と、自分自身が様々な演出家との創作現場で得た宝物や、目から鱗だったと思うことを参加者の皆さんには伝えたいと思っています。

とにかく基本でありながらどこまでも続く探求は、「役者としての肉体の敏感さと、ひらめきに満ちた思考力」を手にすることだと思います。

観客として舞台を見る時、上半身と下半身が分かれてしまっている俳優や、声や小手先の技巧だけに頼っている俳優の空虚さには悲~しくなるんですね。
また、自身で役を深く掘り下げない俳優にはうんざりします。
発想する力のない俳優や、稽古場外で作品について考え続ける行為に喜びを見いだせないなら、基本的に俳優には向いてないかも知れませんね。
せっかくのアイデアを稽古場で試す勇気の無い俳優ももうひと踏ん張りです。


心と体は分かちがたく一つである。
身体が固まっている俳優は心も固まっているってのも本当です。
反対も真です。
心が固まっていると身体は固まります。

心も体も柔らかく自由で繊細で自分に正直でありつつ、相手役と協力できる俳優になる。

これは一日二日のワークで「わかった~」と言って獲得できるものでは有りません。
頭でなんとなくわかってから、繰り返し訓練して身体に落とし込んで、人にもその方法を伝えられるようになって、まるで自転車に乗る技術のように、しばらく乗らずにいてもすぐに勘が戻るようにならなければ、

「出来るようになった」とは言えません。

これは集団稽古じゃなくても一人で日々の鍛錬でも可能です。
でも忍耐が必要ですよ。
本当に自分を磨きたいという「憧れ」と「胆力」が本当に必要です。

稽古場環境や創造現場に恵まれている団体さんは毎日みんなで稽古してるんだと思うと羨ましいです。
それが出来ない弱小団体は一人で鍛えなければなりません。
毎日こつこつと。
鍛えるというのは、スポーツ選手のような目に見える鍛錬だけとは限りません。
柔らかい心とは、この世のすべての事象に対して反応できる心の事です。
遠く離れた地域、過去の出来事、自分とはタイプの違う個人の、ちっぽけな喜怒哀楽にも寄り添える心の事です。
良い俳優になるということは本当に多岐に渡る訓練の積み重ねが必要だと思います。
今出来なくても悲観しなくて大丈夫。
出来ないことが自覚できてるなら凄いことです。
思考の仕方やひらめきも鍛錬で獲得できるものです。

でも、自分は出来ていると思い込んだら最後、せっかく掴んだ可能性の芽も手放してしまいます。


俳優は演出の駒ではない。
作家の言葉を運ぶだけのマシーンではない。
こう言うとまるで演出の言うことを聞かないような態度を想像するかもしれませんが違うんですね。

俳優は演出よりもエキスパートになるということです。
自分の受け持った役のエキスパートになるということです。
わたしは、役にとって必要ならば、ちっぽけな自我なんかポイと捨てられる本物の俳優が大好きです。

さて、今回のワークに参加してくれたうちの何人かの方とは、7月公演終了までの長い創作の旅をご一緒します。難しい挑戦になると思います。
でも、難しいことを「あ~~難しいよ~」とゲラゲラ笑いながら楽しんでやって行こうじゃない。

楽しみです。

ワーク打ち上げ写真
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