疲労が強すぎると、人間は涙が流れます。
これは、有る種の身体が発する警告です。
「張りつめている心を緩めろ」と、
生物としての防御本能が命じているから。

涙は、泣こうとして出るものではなく、なんでだか流れ出るものだと最近思います。
涙が出てしまうなら我慢せず出していい。
それは身体が欲してるから。
ここで我慢すると、難しい段階に至り、心も身体もこじらせます。

わたしは子供のころ父に、
「泣くな!泣くな!泣くな~!」と怒鳴られて、
よく大泣きしてました。禁止は逆効果である証です。

しかしあたしゃ泣き虫でした。
また父が大声で怒鳴るので、
その声にびっくりして泣いてしまう事もしばしば…

泣くのはダメ!弱虫はダメ!我慢が美徳!大人は泣かない!
ダメダメダメってこれは息苦しいですね。
私の認識ですけど、割とラテン系の男性は平気で泣きますよね?
平気で弱音を吐くと思いますよ。

男も泣くし、泣いて良い。

日本にはびこる、男は泣いてはいけないという思想は、明治以降の戦争の時代に強制されたか、若しくは江戸期の武家社会の、「男子たるものうんぬんかんぬん・・・」という理想像の押し付けから来てると思うのです。違うかな?

ちなみに私見ですが、感情の色合いを分ける為に使われる、喜怒哀楽は、哀と喜と楽を十分に自由に出すことが出来る環境でなら、怒に至ることは殆ど無いのだと思います。本来人間という生物は怒りというエネルギーは楽しくないはず。心も身体も喜ぶ状態を、本来は求めるはずだからです。でも、その本来求める喜哀楽を禁止されたら、その禁止されたストレスによって、全ての感情は「「怒」に転じてしまう・・・

我が父は、今でこそ気の良い山のおやじに成ってますが、本当につい最近まで、すべての感情表現が「怒」の色合いを帯びてる人でした。嬉しい時も悲しい時も親密さを感じている時も、エネルギーの出し方は「怒」

これはさ~わかりにくくて疲れますよ!
父本人はみんなに良かれと思ってやっていることが、エネルギーの出し方とか、声のボリュームが間違っているから、誤解されて受け入れられない。そして結果お互いに傷つく。
今でこそ笑い話ですが、我が家には父のサービス精神が元で、悲惨~な状況に成った小話が一杯あります。

今私が父を許せるのは、戦中生まれの父は、明治生まれの祖父に鉄拳制裁当たり前で育てられ、それこそ「泣くな泣くな泣くな~~!」と、どやされてきたんだろうと想像できるからです。時は戦中、男は死んでお国のために!が当たり前の狂った社会でした。

日本の男に生きにくさを強いる、この悪しき伝統をどっかでスパッと断ち切りたいものです。
解放すべきは女ではなく男です。


昨日で、4年連続参加のマルクスワークが終了しました。
太宰の本番日程をずらしてまで参加したワークは豊かな時間でした。
自分自身のために、本当に参加して良かったと思えます。

今回は「難民」をテーマに、ブレヒトの戯曲や詩から創り出すコラージュ作品。

でも、疲れましたね~
12日間しかない。最終日には1000円とはいえ、有料で客に見せる作品を作る。
ただエネルギッシュで面白おかしい作品とは違う。難民と言うシリアスな重いテーマを内包してます。

誰それが役者か役者でないか?という話がこのところわたしの周辺で聞かれるんですが、私の思う役者とは、本気になって、演出のコンセプトにコミットして、演出と協力して、自分の心身も思い出も何もかもあらゆるものを動員して、共演者とその時間を生きようと試み続ける人種のことです。
自分がそこまで本気になって、人生の時間を使って作ったものを、当然多くの人に見てほしいと思う人種のことです。

あっちこっちから集まってきたワークショップ参加者が、どの程度の状態を本気と捉えるかは個々に委ねられます。心を一つにして共に協力して行くまでには時間が必要です。
難民と言うテーマを我が事に引き寄せるにも時間が必要ですし、
どの程度引き寄せるかは個々の能力にも委ねられます。
時間は12日間のみ。
ちなみに台本はワーク開始の二日前に初めて見ましたし、勿論その時は役も決まってません。

マルクスさんの訓練は本当に為になりますよ。
頭でっかちではなく、身体ごとその状況に入る方法を訓練します。
彼の演出の仕方ははっきりしてますし、彼はピーター・ブルックに学んでますし、よく研究してます。
でも、ブレヒトの異化効果とかを文献で読んで頭で理解している日本の演劇研究者にとっては、
目の前の作品が面白いとか、空間の密度の高さとかよりも、彼の演出はブレヒト的ではない!
と言うことが大問題らしい。去年も今年もそんな意見が出てくる。

は?ブレヒトってそんな後生大事に一ミリも動かせないような古典芸能なのかい?
私は方法論研究者ではなく、実際家、実演家なので、何とかメソッドも信奉してないし、ましてやブレヒトの面白さってばパンクとかロックっぽい?と思うことがしばしばです。

私が興味が有るのは面白い作品を作ってどうお客を驚かすかだけだ。

わたしは、マルクスさんとはまた是非創造現場を共にしたいけど、どうやら難しいですね。
こんなにも疲弊するやり方はもう嫌です。
ちゃんと稽古の時間をとって、ちゃんと演出の意図にコミットしようとする姿勢と能力を持った役者たちと、丁寧にモノ創りをしたい。
4年目の今年、終演後の私はなぜこんなに疲弊して傷つけられているのか?
何のためにこんなに全力で疾走させられてたのか?
終演後の、肉体も神経も疲れ果てた瞬間を狙って、袈裟切りを浴びせられるような、
心無い言葉を投げつけられるのも意味が分かりません。

稽古期間中、責任感と自覚のある俳優たちは、自分の振られたパートに命を吹き込むために、ナーバスになって考え続け、眠りが浅い日々を過ごすことを、演劇研究者や劇場製作者は知らないのかな?
ベテランとか有名無名は関係ありゃしない。その俳優に心があるかどうか?俳優としての自覚と責任感が有るかどうかだけだ。もしそんな自覚は必要ないとか言われるなら、私が関わりたい創造現場とは違うな~

ちょっと愚痴っぽくなってしまったかしら?
さてと、今日一日で頭と心を切り替えて、明日からは中断していた太宰の稽古再開です。

3/12(土)14時・19時 共にまだまだお席に余裕が有ります!

是非見て欲しいですよ~~!