先日わたし、
自宅の玄関の鍵穴に、カギを差しっぱなしにして外出。
カギをかけてても、そのカギが鍵穴に差しっぱなしだったら、
かけてないのと同じだろ!
しかも、その不穏で不明瞭な記憶というか予感がふと、日中の経済活動の最中によぎり、
カバンを漁り、上着のぽっけもズボンのぽっけも漁り・・・でもどこにもカギは無く、99パーセント不安が的中したことを知った瞬間、 脇から大汗がどっと・・・
なんでそんな失敗してるのわたし???
と、朝の光景を脳内リプレイするも今さら過ぎたことで、
今まさに!まさに今!何者かが自宅に侵入しているかも知れないと思うと、
もう落ち着いて経済活動に集中することは不可能で、正直に事情を話して早退を願い出て、自宅にとって返し、
帰りの電車の中では色んな光景が脳内にぐ~るぐる渦巻いて、
すでに侵入されて部屋がぐちゃぐちゃ?
いやいや、実は鍵はどこかで落としてしまっている?
それならまだましだとは言えど、鍵を変えるのにまたお金かかるのは痛たたた・・・
鍵よ!誰にも気づかれずに刺さっていておくれ!
そんな時は電車がのろくさく感じる、
駅から自宅まで自転車をブンブンこぎ、
マンションの階段を4階まで駆け上がり、
そしてわたしの目が見たものは!?
今日から四月です。早い早い早い~
今年の三月は猛烈な修行月間でした。苦しかった。毎年誕生日月ってなんかしんどい気がするな~と話したら割と同意してくれる人が居ます。みなさんはどうですか。
3/12(土) 両国シアターXでの一日限りの再演。
言葉が促すカラダ 身体が促すコトバ であそぶ 太宰が書いた 女 おんな オンナ・・・









去年の11月に川崎で見て、そして今回も両国に来てくださった方が沢山いました。
この作品は観客からの支持が高いです。
でも、本当にしんどい創作でした。わたしは毎回稽古場では死にそうなほど疲弊する段階が有るんですが、今回はなんだか良い作品を創るための苦労ではなかったんですね。私はこと演劇に関しては難しいこと大好きなので、創作としての高みを目指しての苦労は楽しみであり喜びですが、そこに至る以前の低い次元のしょう~もない腐心にやられました。
演出という仕事、団体の主宰という責任。小さなグループは全員で仕事に当たるというチームワークのの確立。経験値と自覚の低い演者へのモチベーションアップ。そして自分自身も演者であり、作品を探求し続けるということ。私が「辞めた~」と言わない限り、磨き続けて行く必要なスキルですから、そんなことの弱音ではないんです。
観客の評判は凄く良かったのにも関わらず、なんともやりきれないぐだぐだな感じですね。
まあ、生きてれば色んなことあります。
わたしもこのぐだぐだな感じからやっぱり学んでることが有りますし。
その1週間前には前回のブログでも書きましたが、2月23日から12日間の、Markus Kopf氏とのワークショップ創作での観客への発表が有りましたから、やっぱりいくら再演とはいえ、これは無理目なスケジュールでした。気力も体力も脳力もギリギリのきつきつで、なんであたしゃこんな苦行僧のような事に成ってんじゃ?と
マルクスワークの今年は、
ブレヒトの詩や戯曲の一部を使い、「難民」をテーマにコラージュ作品を創るという趣向。
流石だと思いました。
Marukus氏との創作に私が4年も参加している理由はここです。
彼がなのか、ドイツの演劇人にとっての当たり前なのか、わたしは比較できる何かを持ってないですが、
演劇という行為は、今日の世界に生きる創り手たちによって、今日の世界を生きる観客に向けての「問い」であるというアンカーが、ガッチリ根っこに刺さっている。
だから仮に取り組む戯曲がブレヒトでなく、それがシェイクスピアであっても、チェーホフであっても、岸田國士であっても、三好十郎でも、アーサーミラーでも、テネシー・ウィリアムズでも、清水邦夫でも、どんな名作と言われるものでも、その作品に取り組む創り手たちが目指すところは変わらないのだと思う。生きること、人生、この複雑化した世界に存在する「人間」という生き物への「問い」の為に書かれた仮定の、虚構の物語を、どう生き生きとさせるかという課題に取り組むことが俳優の仕事。
Marukus氏のトレーニングの多くの時間は即興にあてられる。
わたしは即興の手法による有効性を随分教わった。
本当に空間に存在するための術が即興のトレーニングでは見いだせる。
脳をぶん投げて、肉体ごと空間と繋がる体験。
本当に舞台上で生き生きするために邪魔になるものは、怖れ。
共演者と本当にコンタクト出来ている瞬間と、そう見せかけている瞬間。
相手を本当に見て、その時感じた何かに蓋をせず、そのことによって湧き上がる自分の本当の感情も、そのことによって引きずり出される記憶の中の何物かも惜しげなく全て持ち出し使う。
虚構に命を吹き込む術は後にも先にもここにしかない。秘密は無い。魔法は無い。
面白いのだが、Marukus氏との創作現場では、いつも何かしら事件が起こる。事件は無い方が良いけど仕方ないのかも知れないとも思っている。
それは、即興というトレーニングを通じて、みんな心も身体も変化しやすくなるから。
柔らかく感受性豊かにオープンに成るから。
心を裸にされて取り繕っていられなくなって、泣いたり怒ったりし易くなる。
でも当然、その変化の度合いは個人によって大きな開きがある。
俳優としての経験がいくら長くても、見た目がどんなに麗しくても変われない人は居る。
ようするに、自分が慣れ親しんだ演劇文法とは違う演劇文法に出会って、手も足も出なくて悔しい思いをするのは、何も知らない未経験者より経験者の方だろうと思う。積み重ねてきた経験値と成功体験によるプライドだってある。
演じることとは、アクションではなくて、リアクションなんだという所に立ててる人なら早い。自分をチェンジすることに恐れない人ならすぐに対応出来る。
わたしはだから、どう真っさら状態で初日のワークに挑むかを自分に課していたんですね。
「知ってる知ってるわたしそれ知ってる。だって4年目だし得意だし~」とか成ってて、誰かに得々と説明してるようならもう参加する必要はないわけですから、演者としてどうピュアに存在するかに挑戦したんですけど、見事に初日に邪魔が入ったのも可笑しかったけれど・・・
受け手が受け取る準備が出来てないと、宝も宝に見えないのは事実。名作だって何も無いと言ってしまえる素人。豚に真珠。わたしは得るものが沢山有ると思うから4年も参加してるけど、同じ内容のワークを受けていても、そう思えない人も居るというのは仕方ない。それは良いとしても、このワークの辛いところは、出来ない悔しさとか、あの人は出来てるなあとか、嫉妬に近いところから発生する、しょうもないマイナスな感情に出くわすこと。人間だからそうなってしまう事は理解する。何処の現場にも多かれ少なかれ有ることだ。でも高みを目指して物創りしたいときに、そんなマイナス要素は本当に要らないね。
俳優という、「人に非ず人より優れる」物を目指したんなら、普通の人みたいぐだぐだしてないで、もっとシンプルに成ろう。そして本当に難しくて面白い創作に取り掛かろうよ~と言いたいだけなのです。
そこで私が見たものは?!
鍵は、ノブの鍵穴にぶっ刺さったままでした。
誰にも見つからずに、見つかったとしてもそのまま放置してくれたのでしょう。
良かったです~足立区エライ~
えらいこっちゃが目白押しの三月でしたが、
3/30は自身の誕生日に、みなさんから沢山のHappy birthday をフェイスブックで頂いたら、なんか元気が出てきました。人間は単純です。
春は日本はリスタートシーズンで、世間は忙しくて、学校のころは卒業した後とかクラス替えの後とかで春休み。
誕生日でヒロイン気分になったことなんかとんとない。それにこんな早生まれのしかもギリギリに生まれたお陰で、学校の勉強についていくのが本当に大変だったし、馬鹿にされた記憶が付きまといます。両親も歯がゆかったんでしょうね、不憫だったんでしょうね、叱咤叱咤叱咤され続けたわたしでした。だから自分の誕生日ってなんとも複雑な感じ・・・でも、嬉しかった誕生日も有ったのは確か。思いがけないプレゼントを貰ったことも思い出しました。
凄くびっくりしてドキドキして嬉しかったな~
弥生の季節に生れた女の子だから、香りをつけて「弥香」と命名してくれたのは母方の祖母。
戦前に女学校までいった和歌を嗜む才女でした。祖父と結婚するために奈良から満州に嫁ぎ、終戦時は満州に足止め。引き揚げまでに零下20度を下回る満州の冬を二回もくぐり、4人の子供を無事に連れてやっと日本にたどり着き祖父と再会。でも食糧難の日本では引揚者は針の筵。親戚や姑から猛烈な苛めに合った。
私に会うたびに「弥香ちゃん大きくなったね~」とニコニコ笑っていた小さな体の祖母。祖母が亡くなったのも春でした。焼き場からの帰り、満開の桜が彩る宇治の平等院が美しかった。
さて、明日からは
「燐光群」アトリエの会=「楽屋フェスティバル」 の稽古開始です!
場所:梅が丘Box 住所:世田谷区梅丘1-24-14フリート梅が丘
おででこの出番日程は、5/5(木)18時. 5/6(金)14時. 5/7(土)18時 全3ST 前売り2500円
絶賛ご予約受付中です!おででこへ→ 電話03-6903-2748 odedeko2010@gmail.com
清水邦夫「楽屋」
出演者は女優4人だけ。日本で一番上演されている作品。
楽屋と言う小さな世界で広がる、底知れない人間の思い。滑稽で哀しく切なく一生懸命。
清水邦夫のセリフは分かり易い。構成もシンプルですから演劇初心者から上級者に至るまで、様々な「楽屋」が生み出されてきている。
行間には沢山の宝が隠れている。宝探しをする胆力が有れば、もし何かを見つけられたら、いかようにも発展する可能性を秘めたパワーのある戯曲です。
私は2009年の12月に、Ito・Mスタジオで「楽屋」に出演しています。もう6年経ってるなんて・・・
今回は、燐光群さんの梅が丘ボックスで、ほぼ同じ照明と同じセットを使い、全部で18団体が参加して、各々の「楽屋」を披露するという、「楽屋祭り!」 大阪や名古屋からも参加している団体さんが有るそうです。凄いですね~
おででこは、実は超忙しいのですが、あえてその忙しさの合間にこの企画に参加した理由は、今日本で演劇をやっている色んな方々に会いたいからです。皆どんな思いで何に苦労して、でもどこを目指してやっているのだろう。知りたいんですね。そして沢山励まし合いたいと思ってるのかな?
ただし、良い物を作るためには気合い入れてますよ!今回キャスティングは申し分ありません。私本当に嬉しいです。本物(を目指してる切磋琢磨してる)女優たちとの稽古場リポートは次回から!
自宅の玄関の鍵穴に、カギを差しっぱなしにして外出。
カギをかけてても、そのカギが鍵穴に差しっぱなしだったら、
かけてないのと同じだろ!
しかも、その不穏で不明瞭な記憶というか予感がふと、日中の経済活動の最中によぎり、
カバンを漁り、上着のぽっけもズボンのぽっけも漁り・・・でもどこにもカギは無く、99パーセント不安が的中したことを知った瞬間、 脇から大汗がどっと・・・
なんでそんな失敗してるのわたし???
と、朝の光景を脳内リプレイするも今さら過ぎたことで、
今まさに!まさに今!何者かが自宅に侵入しているかも知れないと思うと、
もう落ち着いて経済活動に集中することは不可能で、正直に事情を話して早退を願い出て、自宅にとって返し、
帰りの電車の中では色んな光景が脳内にぐ~るぐる渦巻いて、
すでに侵入されて部屋がぐちゃぐちゃ?
いやいや、実は鍵はどこかで落としてしまっている?
それならまだましだとは言えど、鍵を変えるのにまたお金かかるのは痛たたた・・・
鍵よ!誰にも気づかれずに刺さっていておくれ!
そんな時は電車がのろくさく感じる、
駅から自宅まで自転車をブンブンこぎ、
マンションの階段を4階まで駆け上がり、
そしてわたしの目が見たものは!?
今日から四月です。早い早い早い~
今年の三月は猛烈な修行月間でした。苦しかった。毎年誕生日月ってなんかしんどい気がするな~と話したら割と同意してくれる人が居ます。みなさんはどうですか。
3/12(土) 両国シアターXでの一日限りの再演。
言葉が促すカラダ 身体が促すコトバ であそぶ 太宰が書いた 女 おんな オンナ・・・









去年の11月に川崎で見て、そして今回も両国に来てくださった方が沢山いました。
この作品は観客からの支持が高いです。
でも、本当にしんどい創作でした。わたしは毎回稽古場では死にそうなほど疲弊する段階が有るんですが、今回はなんだか良い作品を創るための苦労ではなかったんですね。私はこと演劇に関しては難しいこと大好きなので、創作としての高みを目指しての苦労は楽しみであり喜びですが、そこに至る以前の低い次元のしょう~もない腐心にやられました。
演出という仕事、団体の主宰という責任。小さなグループは全員で仕事に当たるというチームワークのの確立。経験値と自覚の低い演者へのモチベーションアップ。そして自分自身も演者であり、作品を探求し続けるということ。私が「辞めた~」と言わない限り、磨き続けて行く必要なスキルですから、そんなことの弱音ではないんです。
観客の評判は凄く良かったのにも関わらず、なんともやりきれないぐだぐだな感じですね。
まあ、生きてれば色んなことあります。
わたしもこのぐだぐだな感じからやっぱり学んでることが有りますし。
その1週間前には前回のブログでも書きましたが、2月23日から12日間の、Markus Kopf氏とのワークショップ創作での観客への発表が有りましたから、やっぱりいくら再演とはいえ、これは無理目なスケジュールでした。気力も体力も脳力もギリギリのきつきつで、なんであたしゃこんな苦行僧のような事に成ってんじゃ?と
マルクスワークの今年は、
ブレヒトの詩や戯曲の一部を使い、「難民」をテーマにコラージュ作品を創るという趣向。
流石だと思いました。
Marukus氏との創作に私が4年も参加している理由はここです。
彼がなのか、ドイツの演劇人にとっての当たり前なのか、わたしは比較できる何かを持ってないですが、
演劇という行為は、今日の世界に生きる創り手たちによって、今日の世界を生きる観客に向けての「問い」であるというアンカーが、ガッチリ根っこに刺さっている。
だから仮に取り組む戯曲がブレヒトでなく、それがシェイクスピアであっても、チェーホフであっても、岸田國士であっても、三好十郎でも、アーサーミラーでも、テネシー・ウィリアムズでも、清水邦夫でも、どんな名作と言われるものでも、その作品に取り組む創り手たちが目指すところは変わらないのだと思う。生きること、人生、この複雑化した世界に存在する「人間」という生き物への「問い」の為に書かれた仮定の、虚構の物語を、どう生き生きとさせるかという課題に取り組むことが俳優の仕事。
Marukus氏のトレーニングの多くの時間は即興にあてられる。
わたしは即興の手法による有効性を随分教わった。
本当に空間に存在するための術が即興のトレーニングでは見いだせる。
脳をぶん投げて、肉体ごと空間と繋がる体験。
本当に舞台上で生き生きするために邪魔になるものは、怖れ。
共演者と本当にコンタクト出来ている瞬間と、そう見せかけている瞬間。
相手を本当に見て、その時感じた何かに蓋をせず、そのことによって湧き上がる自分の本当の感情も、そのことによって引きずり出される記憶の中の何物かも惜しげなく全て持ち出し使う。
虚構に命を吹き込む術は後にも先にもここにしかない。秘密は無い。魔法は無い。
面白いのだが、Marukus氏との創作現場では、いつも何かしら事件が起こる。事件は無い方が良いけど仕方ないのかも知れないとも思っている。
それは、即興というトレーニングを通じて、みんな心も身体も変化しやすくなるから。
柔らかく感受性豊かにオープンに成るから。
心を裸にされて取り繕っていられなくなって、泣いたり怒ったりし易くなる。
でも当然、その変化の度合いは個人によって大きな開きがある。
俳優としての経験がいくら長くても、見た目がどんなに麗しくても変われない人は居る。
ようするに、自分が慣れ親しんだ演劇文法とは違う演劇文法に出会って、手も足も出なくて悔しい思いをするのは、何も知らない未経験者より経験者の方だろうと思う。積み重ねてきた経験値と成功体験によるプライドだってある。
演じることとは、アクションではなくて、リアクションなんだという所に立ててる人なら早い。自分をチェンジすることに恐れない人ならすぐに対応出来る。
わたしはだから、どう真っさら状態で初日のワークに挑むかを自分に課していたんですね。
「知ってる知ってるわたしそれ知ってる。だって4年目だし得意だし~」とか成ってて、誰かに得々と説明してるようならもう参加する必要はないわけですから、演者としてどうピュアに存在するかに挑戦したんですけど、見事に初日に邪魔が入ったのも可笑しかったけれど・・・
受け手が受け取る準備が出来てないと、宝も宝に見えないのは事実。名作だって何も無いと言ってしまえる素人。豚に真珠。わたしは得るものが沢山有ると思うから4年も参加してるけど、同じ内容のワークを受けていても、そう思えない人も居るというのは仕方ない。それは良いとしても、このワークの辛いところは、出来ない悔しさとか、あの人は出来てるなあとか、嫉妬に近いところから発生する、しょうもないマイナスな感情に出くわすこと。人間だからそうなってしまう事は理解する。何処の現場にも多かれ少なかれ有ることだ。でも高みを目指して物創りしたいときに、そんなマイナス要素は本当に要らないね。
俳優という、「人に非ず人より優れる」物を目指したんなら、普通の人みたいぐだぐだしてないで、もっとシンプルに成ろう。そして本当に難しくて面白い創作に取り掛かろうよ~と言いたいだけなのです。
そこで私が見たものは?!
鍵は、ノブの鍵穴にぶっ刺さったままでした。
誰にも見つからずに、見つかったとしてもそのまま放置してくれたのでしょう。
良かったです~足立区エライ~
えらいこっちゃが目白押しの三月でしたが、
3/30は自身の誕生日に、みなさんから沢山のHappy birthday をフェイスブックで頂いたら、なんか元気が出てきました。人間は単純です。
春は日本はリスタートシーズンで、世間は忙しくて、学校のころは卒業した後とかクラス替えの後とかで春休み。
誕生日でヒロイン気分になったことなんかとんとない。それにこんな早生まれのしかもギリギリに生まれたお陰で、学校の勉強についていくのが本当に大変だったし、馬鹿にされた記憶が付きまといます。両親も歯がゆかったんでしょうね、不憫だったんでしょうね、叱咤叱咤叱咤され続けたわたしでした。だから自分の誕生日ってなんとも複雑な感じ・・・でも、嬉しかった誕生日も有ったのは確か。思いがけないプレゼントを貰ったことも思い出しました。
凄くびっくりしてドキドキして嬉しかったな~
弥生の季節に生れた女の子だから、香りをつけて「弥香」と命名してくれたのは母方の祖母。
戦前に女学校までいった和歌を嗜む才女でした。祖父と結婚するために奈良から満州に嫁ぎ、終戦時は満州に足止め。引き揚げまでに零下20度を下回る満州の冬を二回もくぐり、4人の子供を無事に連れてやっと日本にたどり着き祖父と再会。でも食糧難の日本では引揚者は針の筵。親戚や姑から猛烈な苛めに合った。
私に会うたびに「弥香ちゃん大きくなったね~」とニコニコ笑っていた小さな体の祖母。祖母が亡くなったのも春でした。焼き場からの帰り、満開の桜が彩る宇治の平等院が美しかった。
さて、明日からは
「燐光群」アトリエの会=「楽屋フェスティバル」 の稽古開始です!
場所:梅が丘Box 住所:世田谷区梅丘1-24-14フリート梅が丘
おででこの出番日程は、5/5(木)18時. 5/6(金)14時. 5/7(土)18時 全3ST 前売り2500円
絶賛ご予約受付中です!おででこへ→ 電話03-6903-2748 odedeko2010@gmail.com
清水邦夫「楽屋」
出演者は女優4人だけ。日本で一番上演されている作品。
楽屋と言う小さな世界で広がる、底知れない人間の思い。滑稽で哀しく切なく一生懸命。
清水邦夫のセリフは分かり易い。構成もシンプルですから演劇初心者から上級者に至るまで、様々な「楽屋」が生み出されてきている。
行間には沢山の宝が隠れている。宝探しをする胆力が有れば、もし何かを見つけられたら、いかようにも発展する可能性を秘めたパワーのある戯曲です。
私は2009年の12月に、Ito・Mスタジオで「楽屋」に出演しています。もう6年経ってるなんて・・・
今回は、燐光群さんの梅が丘ボックスで、ほぼ同じ照明と同じセットを使い、全部で18団体が参加して、各々の「楽屋」を披露するという、「楽屋祭り!」 大阪や名古屋からも参加している団体さんが有るそうです。凄いですね~
おででこは、実は超忙しいのですが、あえてその忙しさの合間にこの企画に参加した理由は、今日本で演劇をやっている色んな方々に会いたいからです。皆どんな思いで何に苦労して、でもどこを目指してやっているのだろう。知りたいんですね。そして沢山励まし合いたいと思ってるのかな?
ただし、良い物を作るためには気合い入れてますよ!今回キャスティングは申し分ありません。私本当に嬉しいです。本物(を目指してる切磋琢磨してる)女優たちとの稽古場リポートは次回から!
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