一人で質の高い稽古を進めるのはしんどい。
かなりな忍耐が必要だ。

質が高かったかどうかは別にして、体力のあった30代の頃までは、
家で一人で台本を開きながら、ひと晩にワインを一本空けてた。
エモーショナルなシーンではワインの酔いも手伝って、
一人でボロボロ泣きつつ、セリフ入れてたから、ほとんど気違いっぽい。
(放送禁止用語だけどこれ放送じゃないからね)
そんな状態で夜中まで起きてたから本当に体力が有ったんだ。
そして、本当に作品にのめり込んでたんだな~

稽古には、演出=じっと見てる人。が必要だとつくづく思う。
誤解を恐れずに言うと、私は何か教えて欲しいのではない。
ただ役者がやる事をじっと真摯に見ていてほしい。「気合」を込めて。

「気合」なんだよ。演出には勿論色んな仕掛けやセオリーや方法論や思想が必要だろうけど、こと役者に対面している時に必要なのは何より「気合」だと思うのだ。
じっと見てられない状態の作品をじっと見ていたい状態に持って行くんだから。

役者は演出の悪口を平気で言う。演出は悪口言われることは織り込み済み。
目指すところは「好かれること」じゃないから。
「作品に奉仕して貰うこと」だからね。
しかし、作品に尽くさない役者が多いのよ。
また尽さない役者ほど悪口言うんだね。多分あれは尽くし方が分からないから不安が悪口になってたのかな?
尽さない役者は作品から頭が飛び出てる。そんなに自分が好きならなんで役者やるの?て聞きたいね。

さて、今回は本当に一人稽古。人間は基本的に怠惰で飽きっぽい動物だから、稽古中に久々のブログ投稿したりしてるんだなあ・・・ははは
人のこと言ってられません。自分で自分のお尻を蹴とばして、私は作品に何処まで奉仕できるのか?

さてもう待ったなしです!「冬にKWAIDAN」in Kyoto
あと1週間で本番やってきます。
冬の怪談
演劇を何故やってるんだろうという思いが年々大きくなっていた。
ここ数年、あまりにも色んな義務や責任やエゴ煩悩や虚栄や勝ち負けと、どうでもいい感情に振り回されて、実は演劇することを楽しめてなかったみたいだ。いや、これも人のせいにするのは違うな?私自身が演劇を楽しむことよりも、公演を打つこと、演劇を仕事にしなくちゃという思いに追われて、「あの出演者をもっとこうしなくちゃ」とか「ねばならない」というエンジンに噴かされていたんだと思う。つまり、人と、他と、何かもっと立派なものと比べて、そこを目指そうとしてたんだろう。

実は私は探求していることが大好き。
若い頃、ワインを片手に夜中まで台本にのめりこんでいた時の集中力。お仕事だったら出来ない。
これもじゃあアマチュア?とかいわれそうだけど、そうじゃなくて、一般的な仕事みたいに時間が来たらハイ終わりなんて甘い関わりじゃ出来ないということ。

ぼっちになって、人前に立つ機会が来る。
間違いなくお客さんは気合を込めて見てくれる。
どんな交感が生れるのか?
真剣な気の交流の中で、自分の奥底の感情にも触れてみたい。
演劇好きかどうかとか。
これからどうやって生きていきたいのかとか。