昨日決算と来期に向けての具体的なミーティングを持つ。
もっとより良い、より高次元の創造に憧れて、仕切り直しの第一歩。
済んでしまったことに私自身が心も身体も囚われてる場合じゃないので手放します。

このブログの頭に書いていた事件の詳細は削除しました。
いつかまたその顛末が一般論として自分が面白がれるようになったら、
何処かで出すかも知れません。作品の1シーンとかでも有り得ますね。

私は今相手のことより自分に目が向いている。
悔いてるとするなら自分の危機管理の甘さ。
本番で事が起きる前日のリハで、こちらの言葉を遮ってしゃべらせない物言いにすでに兆候が有った。打ち合せの時とは打って変わってたその態度をもっとシビアに捉えるべきだった。それに今から思えば、舞台監督にリハ日までにリハの進行は通常どうしているのかを聞いておくべきだった。(リハ後にメールしたけど後の祭りだ)

私自身の価値観とは相容れない、これからだって絶対出会う人種、
自分と同世代から上、特に父親世代に近ければ近い男であれば尚更、出会ったときにどうするか。男だ女だ、素人玄人、京都弁か標準語か、勝ちか負けか・・・色んな角度から簡単にバイアスがかってしまう相手と仕事をせねばならない時に、こちらの要望を飲み込むんじゃなくて、喧嘩するんでもなくて、どこまでも交渉事として話し合う方法。今年もNVCの学びは欠かせない。

通じる言葉で共感を引き出しながら、でも問題は、時間が無いときほど難しくなる事。物事も人の心も拗れるってこと。
この痛みから本当に学びたい。


以下2月18日記載の後段
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それにね 私は本当に幸せな演出なの
怒りにからめとられて台無しにしたくない
「珈琲店で戯曲を読む会」公演メンバーは、
密な素晴らしいチームワークを熟成させた
三本の作品をオムニバスでなく同時進行にした困難な構成を忍耐強く形にして
観客は本番中テニスのラリーを見るように
舞台上で展開される三つの物語を食い入るように追いかけていた

オカルトみたいな奇妙な終わり方になったにも関わらず
観客は面白かった!と素直に感激してくれた

個々の役者もそれぞれが自分の限界に挑戦した
私の難しい要求に
時には混乱しながらも
真摯に誠実に全身全霊でコミットし始めて
勇気を持って自分を開いて
相手役へのアプローチを変えて
高いハードルを越えた瞬間が沢山あった
その瞬間を私は見た
みんなのその一つ一つの変化
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一昨年東京を離れ京都で演劇をリスタートして
みんなと出会った忘れられない一年
昨年7月から9月にかけては
大雨、台風で繰り返し芦見谷が被害を受けた
三年前に父と一緒にペンキを塗った事務所も
台風で完全に吹き飛ばされてゴミ屑になってしまって
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残骸の片付けをしながら苦しそうに肩で息をしていた父
その後あまりに突然に、10月3日の自分の誕生日に他界した父
葬儀を行った翌週には
KYOTO EXPERIMENT本番
客席に座る母の隣には父の代わりに叔母が座っていた

ダンスwith世田谷表現クラブ@芦見谷芸術の森で


そんな全てを見ていたみんな
去年3月から始めた戯曲を読む会も
Kyoto演劇フェスティバルが終わって一区切り
今回必死になって一緒に作品作りしてくれたみんなと
必死にものづくりする面白さを知ったみんなと
更なる創作の場を持とうと思う
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