GW最終日は久しぶりに役者してました。
プライベートなオンラインイベントフェスに呼んで頂いて、太宰治の「葉桜と魔笛」を一人芝居で演じた。
30分弱の小作品。ある老婦人が物語る20歳の頃の思い出話は、今の時期にピッタリな、新緑眩しい5月の半ばの一日の出来事。登場人物は3人+幻の4人目は・・・果たして居たのか居なかったのか?
演技に向う高揚を久しぶりに味わいました。このところ演ずることと演出することがセットになってる場合が多いけれど、役者としての準備だけに集中して迎えた本番でした。
完全にお客の顔が見える野外の昼間。出演者と関係者を目の前に、小さな子たちは雄たけび上げて走り回ってるし、自由に舞台面も横切ったりして…この自由人たちをどこまで集中させることが出来るのか?太宰治の語り口のままで、子どもたちだけに限らず、大人にとっても耳慣れない言葉が沢山ある。オンライン撮影も同時に入って、カメラの向こうの人への意識も必要で、カメラを見つめた方が良いのかどうなのか?初体験で手探りだった。なかなかに過酷な状況だったけれど、良い挑戦になりました。でも結局私がやったことは、普段のままと同じ。ただ本当の意味で、本気で空間とのキャッチボールに徹したのだと思う。カメラの向こうよりやっぱり目の前の観客とどのように空気を作るかに集中して、散漫になりそうな空間で、観る者の意識を惹きつけ続けるためには、より真剣に丁寧に空間を丸ごと掴みに行って、本気の押し引きをする。
表情は素直だ。言葉は嘘をつく。物語が分かるとか、左脳的な理解を越えた「何か」を受け取った時の表情は、大人も子供もすっきりと輝いている。子供が可愛いのは、その受取った代わりに何かお返しをしたいと思ってくれるようで、終演後に自分のお菓子をわざわざ渡しに来てくれたり。
これを最初に演じたのはもう8年前。太宰作品の中では初めて一人芝居にしたのが「葉桜と魔笛」という事もあって、何かと折に触れて演じ続けてきた作品。2017年、京都に移ってすぐのタイミングでも左京区の喫茶店でやった。
太宰治には実は全然興味が無かった。何度も心中して女だけ死なせて自分は生き残ったり。最後はやっぱり心中して死んだ男なんか~キモい~!と思ってたから、彼の作品は読んでなかったけど、立体化するために渋々読んだら面白かった。太宰が書いた言葉を咀嚼して自身の肉体に通して発話してみたら、食わず嫌いですいませ~んって感じで、天才作家ですね太宰治は。でも、その才能は認めて欲しい人から認めてもらえなくって、屈折したテレが強すぎるのがしつこいのね。やたらと饒舌すぎるのもそのテレの裏返しで煩いなと思うけれど、私は今や太宰ファンです。これまでに彼の原作で数本創作させて貰ってる。
葉桜と魔笛はやるたびに発見がある。自分の心の状態や社会環境や時代よって、色濃く感情移入出来るキャラクターが変わるようだ。以前は父と姉の感情にシンパシーを持った。今、物語る老婦人に私自身の実年齢がググっと近づいてきて、大きく演出は変えてないけれど、身体が年齢を重ねたせいもあって、力が抜けたというか、余計な力を入れると疲れる。身体が変わって行く中でどう表現するのか?今後の課題だ。それはそれとして、今回は青春の大切さに気付いたその時に、青春を謳歌すること無く終わりを迎えねばならない妹の無念さにすうと心が寄り添った。
今出来る事。今望んでいることを自分に嘘つくことなく思い切ってやってみる勇気。やって欲しいね。その年齢だから似合う事。出来る事はある。そんなことを思うのは、私の後悔から。人の目ばっかり気になって、集中力も散漫だった20代の頃、私自身がもっと自分のやりたいことがはっきり見えて居たなら、勇気が有ったなら・・・
一つの作品を何度も演じつつ深める作業は豊かです。
何度も飽きずに探求させてくれる作品が深いとも言える。
太宰さんの探求は又挑戦していきたいですね。
世の中コロナコロナで、演劇することが難しくなってる。生きることがみんな難しくなってるから、芸術は不要不急とか言われている。私もこの時期に東京で一人暮らししてたら危機だったかもしれない。今だってキャンプ場はGWは全部満室だったのをキャンセルして泣く泣くクローズ。この春拡張したサイトの工事費用の支払いがまだ残ってるし、経済的には本当に痛い。
日本人はしかし大人し過ぎないか。私は政治はまだ手を尽くしてないと思う。
不誠実な言葉と、やってる感演出のポーズはもういいよ。
一生懸命、一所懸命に、本気で皆が生き残る道を探さないリーダーこそ不要だ。
こんな状況に成ってもまだ、自画自賛と利権かと・・・力抜けるね。
葉桜と魔笛の一節を。
「・・・僕たち貧しく無力なのだから、他に何にも出来ないのだからせめて言葉だけでも誠実込めてお贈りするのがまことの謙譲の美しい生き方であると、僕は今では信じています。常に自分に出来る限りの範囲でそれを成し遂げるように努力すべきだと思います・・・」
生き残りましょう。
大変なら、助けてくれと声を上げましょう。
お利口に大人しくして、死んでしまっては本末転倒だ。
今出来る事。今望んでいることを自分に嘘つくことなく思い切ってやってみる勇気。やって欲しいね。その年齢だから似合う事。出来る事はある。そんなことを思うのは、私の後悔から。人の目ばっかり気になって、集中力も散漫だった20代の頃、私自身がもっと自分のやりたいことがはっきり見えて居たなら、勇気が有ったなら・・・
一つの作品を何度も演じつつ深める作業は豊かです。
何度も飽きずに探求させてくれる作品が深いとも言える。
太宰さんの探求は又挑戦していきたいですね。
世の中コロナコロナで、演劇することが難しくなってる。生きることがみんな難しくなってるから、芸術は不要不急とか言われている。私もこの時期に東京で一人暮らししてたら危機だったかもしれない。今だってキャンプ場はGWは全部満室だったのをキャンセルして泣く泣くクローズ。この春拡張したサイトの工事費用の支払いがまだ残ってるし、経済的には本当に痛い。
日本人はしかし大人し過ぎないか。私は政治はまだ手を尽くしてないと思う。
不誠実な言葉と、やってる感演出のポーズはもういいよ。
一生懸命、一所懸命に、本気で皆が生き残る道を探さないリーダーこそ不要だ。
こんな状況に成ってもまだ、自画自賛と利権かと・・・力抜けるね。
葉桜と魔笛の一節を。
「・・・僕たち貧しく無力なのだから、他に何にも出来ないのだからせめて言葉だけでも誠実込めてお贈りするのがまことの謙譲の美しい生き方であると、僕は今では信じています。常に自分に出来る限りの範囲でそれを成し遂げるように努力すべきだと思います・・・」
生き残りましょう。
大変なら、助けてくれと声を上げましょう。
お利口に大人しくして、死んでしまっては本末転倒だ。
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