大局的にはとてもうまくいってる感触。
ここ数年京都で頑張ってきたこと。
形になってきている。
8月の長雨とコロナには参ったけれど、
うんうんうなって考えて、閃いたアイデアを即実行に移したおかげで、
打撃は最低限度に抑えてる。頑張ってるぞ私。
コロナにも長雨にも負けられない。
私の50代の挑戦は始まったばかり。還暦まで続く挑戦は始まったばかりだから。


しかし私はトータル的に人生に満足してるかというと、
まだ遠い。

まだ?

いや、満足することが有ったとしても、きっとそれは一瞬で過去になって、
次の何かに向かって歩き始めるんだな。
不安と焦燥を抱えながら。生きている以上ずっと続くのだろう。

誰でもそうなのかしら?
満足しない性分を抱えた欲張りな私がそうなのかしら?

ここ数年の焦燥は、
どうにも
自分の感性や意思とは違った価値観に心を占領されること。
自分が本当に心地良い大切にしたい暮らしのペースを乱されること。
勤めを辞めて少しは軽減されたものの・・・

母が昨日から伯母の家に行ってる。
昨日から私は久し振りに孤独な時間を楽しんで寛いでる。
独身お一人様生活を30年以上続けてきた私。
つまり、母とは親子だったけれど、ずっと家族じゃなかった。
価値観もペースも違う。

母の言動に時々心底失望する時がある。
母は私の失望を感じ取って傷ついてる。
言動にはその人の価値観の裏打ちがあるものだから、言動を変えるってのは価値観を変えることになる。
80歳になる母の価値観を今更変えることは出来ないのかもしれない。
しかし、どちらかが我慢して乗り切れるとも思えない。
新たに家族として暮らし始めた私たちには、新たな家族としてのルールが必要だ。

父が亡くなった2018年10月からまもなく丸三年。
父は嵩張って存在が大きくて声も大きくて空間を支配していた。
その父の喪失は大きかった。
母世代の人はみなそうだろうか?
母は夫中心に生きることが当たり前だった人。(と本人は言う)
つまり自分では深く考えずに、誰かの指令に従って、誰かのために尽くして、それは良妻賢母で美しいようだけど、最後の局面では責任取らない。だって行動の始まりが自分の意思じゃないから。
おまけに日々の中で、ふと「私犠牲になってる!」と母は思う。
だから時々深酒して、父に絡んで八つ当たりして鬱憤晴らして、根本的には何も変わらず明日からまた平穏な日々が・・・
東京に住んでいたころ、時々京都に帰る私を待ってましたばかり、見せ付けるように喧嘩をする両親が鬱陶しかった。

父亡き後の芦見谷。
ライフラインのないあの場所での暮らしは根本が厳しい。
電気を確保するための自家発電装置も劣化する。買い換えようにも需要の少ない特殊な機材は高い。
冬場の凍結で水周りのパイプが破裂したら修理するにも資金が必要。
街の暮らしはすばらしく便利で、芦見谷の暮らしは何倍も辛い。
芦見谷の暮らしと事業を、母と二人で励ましあって進めていくことは美しく充実しているが、
母は時々勘違いする。

「この辛さは娘に指示されて娘に尽くしてる結果なんだ」

だから、時々深酒して私に絡む。
私は思い出させる。私は父じゃないってこと。
そして、芦見谷での両親の暮らしが始まったのは母が「芦見谷が大好きだから死ぬまでここにいたいわ~!」と父に言った事から始まってるってことを。
さらには、私が東京から京都に戻ってこの事業を進めてることも、元を辿れば母の言葉が発端なんだよと。母は一瞬神妙な顔つきになって「分かったわ」とか言う。
でも、数週間して再び彼女の深酒が始まると、今度は驚くような責任転嫁。

「私の言葉によってここに縛られてるってあんたの言葉は私を縛ってる~」


先日婦人科の先生に「人間は50歳くらいまで生きるように設計されてますから50過ぎると色々出ますね」と本当に何気なく言われて、不思議とすっきり腑に落ちて元気が出た。

設計されてる。人間はそのように。
生・病・老・死は この世に生きるなん人も逃れられない運命。
嘆こうが足掻こうが、いずれはみんなさようなら。
いつかはさよならできるんだ。

花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生か

って井伏鱒二の名訳がちょいちょい浮かぶ